「日常英会話ができる」とはどういうこと?
今回私がオススメする教材は、『Oxford Picture Dictionary』です。
この質問をすると、恐らくほとんどの日本人が、自信なさげに「まあ、日常英会話くらいなら」と返します。
ただこの場合、残念ながら、かなり不自由なはずです。それは、そう返した自分が一番よく分かっています。私も経験ありですので。
というのも、「英語で生活した経験がない」からです。したことがないから、自信なく答えてしまう。ただ、見栄も張らずにもいられません。
なぜなら、最低でも3〜6年くらいは英語を勉強したはずですから。「全然できない」と言えば、おバカかと思われます。
しかしこの場合、「日常英会話くらいなら」と答えている時点で、日常会話がどれほど難しいか、分かっていないことも意味しています。
というのも、日常会話ができるのなら、それはある程度不自由なく、英語が話せるレベルだからです。
「日常英会話くらい」と答える方は、もしかして「英会話=英語の文章を訳せる、一言フレーズが言える」と考えているかもしれませんが、まずはここの認識から変えていきましょう。
例えば皆さん、日常日本語はできると思います。
では、いつも日本語では、日常、どんなことを話していますか?

「やっべ、母ちゃんのケータイ、便器に落としちゃったよ」
そう、恐らくこんな感じだと思います。とっても「どうでもいいこと」ばかり。
しかしこれを英語で伝えるには、瞬時に単語、文法知識を駆使しないといけません。
「日常英会話」とはそれくらい、幅が広いのです。野球で言うと、一人で内野も外野も守る感じでしょうか。
本来、日常英会話こそが「頂点」なのです。日常はだだっ広い。

そして残念ながら、この時点で学校で習う「英語の文章を日本語に訳すスキル」はほとんど役に立ちません。
一言フレーズをやっても、カバーできるのは、上の「やっべ」くらい(「Oh my gosh!」くらいでしょうか)
だから、それだけを覚えても、英語はやはり話せるようにはなりません。むしろ、大事なのは「その後の文章」
そのため、残念ながら、ほとんどの日本人は、英語を話せません。そこを学校で習ってこなかったのですから、当然です。
こうして、日常英会話ができる人は、「海外生活が長い人」、「ネイティブと一緒に住んでいた経験のある人」くらいに絞られてきます。

だから、話者を目指す場合、まず初めにやらないといけないことはこれです。
「便器」など、身近なものを英語で知る。
文字だけの単語帳は、英語の感覚が残らない
日本人の英語の致命的な欠陥は、まず「身近なもの単語を知らないこと」です。それがないと、グローブやバットがないのに野球をしようとしているのと変わりません。
そして、単語を覚える場合、日本人は「文字だけの単語帳」を使いますが、それでは効率が悪くなります。
bag | カバン、バッグ、袋 |
desk | 机 |
interesting | 面白い |
さて、こうやって日本人は「英語:日本語」で単語を覚えます。もちろん私も学生時代、そう覚えました。
しかし、この覚え方は「致命的な欠陥」があります。
それは「感覚」が残らないということ。「本質」を見失ってしまう。
「bag」は訳せる。スペルも正確に書ける。これで筆記テストは解ける。
しかし、以下のこれらを見て、どこまで「bag」だと認識できるでしょうか。




恐らく、ほとんどの方は、一番上だけになるはずです。なぜなら、それを日本語でも「バッグ」と呼んでいるからです。あとは「バッグ」だと思えないでしょう。
ただ、英語圏ではこれらを全て「bag」という言葉で捉えているのです。
文字だけ眺めていても、英語感覚でモノは捉えられない。
これが、単語帳で覚える致命的なエラーです。後で確実に「やり直し」がきます。
「文字と日本語だけ」で学んでしまった場合
加えて文字だけで学んだ場合、もう一つ欠陥が出ます。
それは、頭の中で「英作文する作業」が残ってしまう、ということ。
これは思った以上に、「大変な作業」です。
「やっべ、母ちゃんのケータイ、便器に落としちゃったよ」
この文章を「瞬時に英語に切り替えられる頭脳」があれば、別にそれでもいいと思います。大量の単語帳・表現集を覚え、英作文の訓練をする。物理上、可能だとは思います。
しかし、ネイティブは一人もそんなことをしていません。
彼らはどうしているか。

“Oh my gosh! I dropped my mother’s cell phone into the toilet.”
そう、そのまま、「見たもの、経験した」ことを英語感覚で表現しているのです。こうして、日常の中で「口頭練習」をしている。
それは、私たちの日本語だってそうでした。見たもの、経験したものを日本語感覚で表現してきただけです。日々、「口頭練習」をしている。
だから、たとえおバカであっても、たとえ幼児でも、日本語を普通に話しています。生きるに従い、段々上手くなる。
本来、「言葉」とは、もっと泥臭く、もっと地味で、身の回りにあるものを「呼び続ける行為」の延長の作業です。


今後、どう英語を学んでいくか。
「bag」を「カバン」と覚えて、日常にある「bag」に気づかず生きていくのか。それとも日常にある「bag」を見出して、毎日「bag」と呼んでいくか。
前者は後ほど話者になる段階で英語で苦しみますし、後者は幼いうちから英語を育め、段々話者になっていきます。
続いて、この『Oxford Picture Dictionary』の使い方を紹介します
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