「もしなる2」プロローグ
「うち・・・この塾、今月で辞めるわ」
「え? どうして?」
「だって、うちには英語無理やもん。今日の学校の授業もさっぱりやったし。アホやねん、うち。あの親父の娘やから。単語も全然覚えられへん。ウエンズデーのスペルも、もう書けん。中に入っとんの、bやったっけ? dやったっけ? 入れる場所も忘れてもうた。ほんまアホや。それなんに、表現集みたいなやつを覚えられるわけないやん。文字ばっかりや」
「で、でも・・・四葉は将来、英語を話せるようになりたいんでしょ?」
「ええって、もう。英会話の本の著者とか見てみいや。みんな東大とかハーバードとか、ええとこの大学ばっかりや。うちとスペックが、もともとちゃうねん。ほんで今日、エリートにも言われたわ。もしもお前が英語話せるようになるんなら、犬や猫も会話し始めるわって」
ひどい。冗談だとしても、あんまりだ。
「それに近い将来、完璧な翻訳機もできるんやし、もうそれでええやん。今、英語真剣に勉強したって、青春の無駄使いやわ」
カッカッカッと、四葉は乾いた声で笑った。どうすればいいのだろう。今までやってきた努力を、この子は今、全て放り投げようとしている。するとその瞬間、私の体に、すうっと何かが乗り移ったような気がした。
「ねえ・・・心は、あるのかな? 翻訳機に」
「は?」
「四葉は将来、アメリカで歌を歌いながら、世界中に友達を作って、歌手を目指すんじゃなかったっけ? 英語を話せるようにならなきゃいけないんじゃなかったっけ?」
「はあ? どうしたんや、いきなり。真面目な顔して」
「機械を通して伝わったものって、心がないでしょう? ただ、文字を変換しただけみたいな。声だって、機械音でしょ。そんな翻訳機に頼って、本当の友達ができるの? 四葉だって、日本に来た外国人が日本語を覚えようとしなくて、ずっと翻訳機に頼っていたら、やっぱり嫌じゃない? こいつとは別にもういいやってならない?」
「・・・何やねん、由璃ネエ。なんか今日、いつもとちゃうやん」
四葉は眉間に皺を寄せて、「やる気ゼロやから、もう帰ってもええか?」とぶっきらぼうに言った。しかし、私は思った。ここだ。ここで今、真剣に向き合ってあげないと、この子は一生を台無しにしてしまうかもしれない。もうこの塾にも来ないかもしれない。この子の将来に手を差し伸べられるのは、世界に私一人しかいない。
「ねえ、四葉は自分の頭が悪いから、英語が話せるようにならないっていうけど、だったら英語圏の人は、みんな頭がいいの?」
「は?」
「向こうは誰でも英語を話せるよね? それこそ、小さい子供でも。ってことは、『頭のいい悪い』は関係ないんじゃないかな、英語を話せるって」
私は自分の小指を見せて、
「例えばこれ、何? 日本語で」
「なんや。小指がどうしてん?」
「ねえ、どうして四葉は『小指』って言葉を言えるの? 頭がいいから? 『小指』って漢字が書けるから? 国語の成績がいいから? 英語でその名称を知っているから?」
「はあ? ちゃうやろ。そんなん、誰でも知っとるやん」
「じゃあ、どうやって覚えた? 小指は」

「そんなん・・・忘れたわ。でも、誰かが言うとってんの、聞いて真似したんやろ、どうせ」
「でしょ? ノートに文字を書いて、勉強したんじゃないよね?」
「・・・」
「でね、この指のことはね、『pinky』っていうの、英語だったら」
四葉は再び眉間に皺を寄せた。
「じゃあ私に続いて、言ってみて。pinky, pinky, pinky,」
「はあ? 何でやねん」
「言って、ほら。pinkyって。ほら、pinky, pinky,」
「嫌や。そんなん、アホらしい。うち、もう帰んねん」
食いさがる私に、かなり苛立っているのが、見てわかった。こうなると、四葉はますます頑固になる性格だ。どうすれば私の言うことを聞いてくれるのだろうか。このまま、この子を帰してはいけない。
しかし、その時だった。背後から、可愛い声で「ピンキー、ピンキー」という声が聞こえてきた。ハッと振り返ると、隣の席の菜純ちゃんが、自分の小指を見ながら「ピンキー、ピンキー」と繰り返している。幼いながらも、必死な顔で。
「菜純ちゃん・・・」
「ねえ、よっちゃんも私と一緒に言おう。ほら、ピンキー、ピンキー」
それを見て、さすがの四葉も申し訳なくなったのか、「わーったよ」と言って、私の小指を見ながら、「pinky, pinky,」とぶっきらぼうに20回ほど繰り返した。良かった、繋がった。ありがとう、菜純ちゃん。よし、でもこれできっと、四葉のインプットはOKだ。
「はい、じゃあ、これなーんだ?」
そう言って私は、今度は四葉の小指に触れた。
「何って・・・だから、pinkyやろ?」
「ほら、覚えられたじゃない、単語。こんな一瞬で。1分くらいでしょ」
「・・・あっ」
四葉の瞳に、一閃の光が差したような気がした。ここだ、四葉の手を引っぱり上げられるのは、そう、ここしかない。
「なーんだ、全然、バカじゃないじゃん、四葉。私、もっともっと、おバカだと思ってた。何回口にしても、何にも覚えられないような子だって」
「な・・・何やねん、由璃ネエ。それは、失礼ちゃうか」
「何やねんって、今、証明したんじゃない、四葉は全ッ然、バカなんかじゃないって。だって、知らないよ、みんな。これをpinkyって言うんだって。明日学校行ってから、聞いてみなよ。もしかして、エリート先生も知らないんじゃないかな。いや、絶対に知らないよ。だって、試験には出てこないもん」
「そ・・・それが何やねん、偉いんか?」
「偉いよ。だって、ネイティブがみんな知ってて、ほとんどの日本人が知らないことを知っているんだよ。こうやって、ただ単に、ネイティブが生活の中で使っている言葉を一つずつ口にして、覚えていけばいいんでしょう? 『英語を話せる』って」
「・・・」
「頭のいい悪い、は関係ないの。勉強だと思うから駄目なの。単に、繰り返して言うだけの話なんだから。日本語だって、何度も繰り返し言ってきたから、覚えられたんでしょ? 言葉はね、『音と場面の記憶』なの」
言った瞬間、私は驚いた。これは、有紀さんが言っていた言葉だ。もしかすると、私にすうっと乗り移ったのは、あの人か。そうか、いるのかあの人が、ここに。道理で。強いわけだ。

今、「もしも高校四年生があったら、英語を話せるようになるか」に続く、3年ぶりの新作「もしなる2」を書いています。
この3年間、ネイティブと話してきて気づいたこと、自分で気づいたことなど、すべてを落とし込みます。
「インパクト」と「感動」は、前作を遥かに凌駕します。内容は『一人の女子中学生と一人の塾講師、そして有紀君の物語』です。
もしも「中学英語で話せる」のであれば、なぜ21世紀になっても、英語を話せる中学生が出てこないのだろうか。
そして、「中学英語で話せる」のであれば、高校3年間で習っている英語は一体、何なのだろうか。
どうして「英作文」と「表現集丸暗記」という不自由な道しか、日本人には「話者」になる道が残されていないのか。
なぜ書店に今、「イメージを使った教材」が流行っているのか。
どうしてTOEICを受検しているのは、「日本人と韓国人ばかり」なのか。
どうして私たちは、海外ドラマが絶望的に聞き取れないのか。
なぜ日本人はイギリス英語とアメリカ英語の違いすら区別できないのか。
どうして和製英語がこうまで氾濫してしまうのか。
どうしてこの時代になっても英語の話者になるためだけに、日本人は海を渡り続けるのか。
どうして日本には一言フレーズばかり、氾濫することになっているのか。
なぜ受験の後に、徹底的に学校英語が叩かれることになっているのか。
どうして受験の後、英語の発信者がYoutuberなどにすり変わるのか。
どうして、英会話スクールやオンラインレッスンをやっても失敗し続けるのか。効果が上がらないのか。
どうして日本人の大人は、何度も「やり直す」のか。英語に苦しみ続けるのか。
その他、英語におけるたくさんの「どうして?」には、すべてにおいて、確たる理由があります。そして全部、根は一緒です。
あの葛城有紀がこの3年、英語と向き合い、何を見てきたのか、何を考えてきたのか、日本人の英語の学び方を「根底」からひっくり返します。
受験や資格などとは関係なく、「ただ純粋に英語を話せるようになりたいだけの15歳の女の子」と、「その子をただ純粋に話せるようにさせたい一人の塾講師」が、時代に抗いながら、日本の行き詰った英語に、新しい風を送りこみます。
この日本を救うのは、資格やTOEICなどの英語実績も何もない、「彼女たち」になるはずです。
ご声援、ご支援頂けますと、幸いです。