第1部2章.「学校の英語の先生になりたいです」
2「学校の英語の先生になりたいです」
厳格な父によって育てられた私は、余り褒められた記憶がない。それは私が勉強やスポーツで突出した成績が残せなかったせいもあるが、そもそも父は大の仕事人間で、家にもほとんどいなかった。
そんな私は子供ながらにして、「お父さんは自分よりも、仕事の方が大事なんだ」と思っていた。
そして、そんなある日のことだ。私は定期テストにおいて、英語で100点を取ってきた。その日、出張帰りで珍しく陽が落ちる前に帰ってきた父は「この子は将来、学校の英語の先生になれるかもしれないな」と、頭を撫でながら褒めてくれた。
褒められること自体が久しぶりで、私はとても嬉しかったのを覚えている。そして父はその日の夜、私が大好きだったパイナナップルピザをデリバリーするよう、母に指示した。
そして、それから僅か五日後のことだった。私が学校で授業を受けていた時、父が倒れたという知らせを聞いたのは。
急いで病院に駆け付けた時には、既に父は息を引き取っていた。脳梗塞だったらしい。まるで安っぽいテレビドラマのワンシーンのように、手術着の担当医が、私と母にお悔やみを告げた。
父の最後の言葉は「真穂、大丈夫。大丈夫だ」だったらしい。私は急に足の力が抜け、その場に崩れ落ち、気を失った。結局、ピザを囲んだあの日の夕食が、家族三人の最後の思い出になった。
それから数週間後、たまたま学校で『将来の夢』について、作文を書く機会があった。作文自体は苦手でいつもギリギリに提出していたが、その時私は何の迷いもなく、『学校の英語の先生になりたいです』とクラスの中で真っ先に書き上げ、担任の先生を驚かせた。
その時、私はすぐ右隣に父の存在を感じた。意思を感じた。 『夢』なんて甘い言葉じゃなく、残された自分の『義務」だと思った。自分の生きる方向が定まった瞬間だった。
それから先、私は中学校において、英語の学年トップの座を誰にも明け渡さなかった。死んだって渡すものかと思った。
それ以降、私は何度も定期テストで100点を取ってきては、その日は陽が落ちる前に家に飛んで帰った。
高校は県内有数の進学校に進んだ私は、さすがに英語でトップを取り続けることはできなかったが、それでも優秀な成績を修め続け、都内の教育大学の英語学科にストレート合格した。
合格発表日当日、会場から帰ってきた私は父の遺影の前に置かれていた宅配ピザのお供えを見て、母もまたあの日のことを覚えていたんだな、とその場に泣き崩れた。パイナップルの甘くて懐かしい匂いが、家中にあふれていた。
それなら、こんな私がどうして「読み書き」限定の英語教師になってしまったのか。今まで英会話スクールには通わなかったのか、留学はしなかったのか。人は疑問に思うかもしれない。
もちろん、私だって何もしてこなかったわけではない。それこそ、必死にもがいてきたのだ。そんなの、当たり前ではないか。
(次回「3、あっ、はい、・・・・アイムファイン、サンキュー。アンドュー?」はこちらから)