英語という「教科」から、英語という「言葉」へ
「もしも高校四年生があったら、英語を話せるようになるか」

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1「・・・私さ、やっぱり大丈夫かなって。2020年から」

私、桜木真穂が勤める星心中学校は、埼玉県寄りの都内にある。今までに一度異動を経験し、この学校は私にとって二校目に当たる。

「So, what’s up, Maho? You look a little down.」

職員室に入ってきた同僚の青木千賀子は、そう言って私の隣に座った。黒髪のショートヘア、丸くて大きな目、赤くて大きい頰。小柄ながらもどっしりとしたその体型は、まるでくまモンみたいだと、いつも思う。

私と同い年で28歳の彼女は、生まれてから12歳になるまでなんとニューヨークで過ごしたらしい。

この類の話を聞くと、言葉は悪いが、私は「ズルいな」と思ってしまう。生まれた場所がアメリカで、しかもニューヨークだったなんて幸運がどこに転がっているのだろう。そして、どうして私は埼玉のど田舎生まれだったんだろう。本当に人生はアンフェアだと、千賀子のネイティブ発音を聞く度にそう思う。

ちなみに私の中で『英語エリート』という4つのグループが存在する。まずは千賀子のような帰国子女たちで、やはり幼い頃から英語に慣れ親しんだというのは無敵のアドバンテージだ。私が野原で虫を追いかけていた時、彼らは地球の裏側で日々生の英語を聞いて、日々生の英語を話していたのである。この差は計り知れないほど大きい。

そして二番目は親が外国人というケースだ。もちろんこれにはハーフの人も含まれる。たとえ国内であっても、家庭の中では英語を交えながら育ったので、海外で生活していたのと全く同様の効果が得られるはずである。

三番目は長期間にわたって英語圏に留学した人たちだ。強い決意を持って海外に渡り、苦労して英語をマスターしたのだから、その勇気と努力は素晴らしいと思う。私にはできなかったことだ。

そして最後は恋人が外国人というケースだ。恐らく国内にいながら、これほどコストパフォーマンスに優れた英会話習得の道があるだろうか。ほぼ毎日がプライベートレッスンみたいなものではないか。心の底から羨ましい限りである。

そして千賀子はその『英語エリート』の一人に当たる。もちろん、英語力には雲泥の差があるので、英語で話しかけられても、私は気恥ずかしさから、すぐに日本語に崩してしまう。

「Maho? What are you thinking?」
「・・・私さ、やっぱり大丈夫かなって。2020年から」

千賀子は「えー、またその話?」と表情を曇らせた。もうこのやり取りに飽き飽きしているのだろう。そう、私は以前に文部科学省から発表された、2020年に向けての英語教育の変革内容を聞いてから、毎日が憂鬱で仕方ないのだ。

その変革内容とは、小学校三年生から英語が導入されることや、大学入試に英検やTOEFLなどの外部試験の結果が採用されていくことなど多岐に渡る。

ただ、何よりも私にとって衝撃的だったのは、『中学校の英語の授業は基本的に英語で行われるようになる』ということだ。私はそれを知り、目の前が真っ暗になった。

なぜなら、私はもちろん英語には自信はあるものの、それは読み書き限定だからである。生徒の前で英語で授業をするなんて高度なこと、私には到底できそうもない。

もちろん今でも週に何度かは外国人のALT(アシスタント・ラングエッジ・ティーチャー)と一緒に授業することもあるが、その際は、私は極力存在感を消すようにしている。

発言しても、内容の確認だったり、連絡事項の伝達など、最低限にとどめている。迂闊に喋って、私のスピーキング能力の低さを生徒の前で露呈したくないからだ。

「大丈夫よ。だって、2020年までまだ数年あるわけでしょ?毎日少しづつ英語を喋っていたら、いつの間にか話せるようになるって」

千賀子なりに励ましているのだろうが、残念ながら、そのようなアドバイスは、今までに飽きるほど聞いてきた。

「それにね、結局は私、日本語で授業することになると思ってるの。だって、あの子たちが英語で説明して内容を分かってくれると思う?だって、日本語でもチンプンカンプンなんだよ?結局は今のままだって」

言いたいことはわかる。ただ、本当に千賀子の言う通りになるのだろうか。

「青木先生・・・そりゃあ、どうかと思いますよ」

不意に飛んできた声に、私たちは前方に視線を移した。向かいの席の社会科の山形心平先生が、湯呑みを片手にラックの隙間から私たちを覗き込んでいた。

四十代前半という話だが、もう少し老けてみえる。確か生まれは四国のどこかだったはずだ。苗字は思いっきり東北なのに。

千賀子は「どういうことですか? 山形先生」と尋ねた。

「いやぁ、東京オリンピックに向けて、文科省も今回は本気やと聞いとりますからねえ。今後、英語は『使える』ようにならんといけんらしいですなあ、受験でも」

そう言って、山形先生はズズズと音を立てながら、お茶をすすった。

山形先生の言う通りだ。今まで何度も英語教育において変更はあったが、今回は文科省の本気を感じる。ただ、私は疑問に思う。

中学校の授業がたとえ英語で行われたとしても、果たしてそれで生徒たちの英語力が向上するのだろうか。そんなイメージが全く湧かない。

その時、職員室のドアがガラリと開き、阿蘇虎牙先生が入ってきた。

「げっ。Assholeだ。もう出張から帰ってきたのか」

千賀子は大げさに表情を歪めて、そそくさと次の授業の準備を始めた。

阿蘇先生は英語科の学年主任で、四十八歳のベテラン教師である。大学時代、イギリスに一年間の留学経験があり、英語は話せるが正直なところ、余り流暢とはいえない。

それでも、自分の意見は日本語であってもハッキリと言うタイプなので、英語でのコミュニケーション能力は私よりもはるかに長けていると認めざるを得ない。

そして、特筆すべきなのはその威圧感だ。身長も180センチと高く、プロレスラーのようなその体格は、大学時代に柔道の国体選手に選ばれたという実績を納得させるに十分だった。

また、柔道部の顧問もしており、彼のスパルタな指導の下、当校は都内有数の強豪校となった。こうして、日に日に校内の権力を掌握した彼に、表立って歯向かう教師や生徒は皆無だった。そして、それは教頭や校長ですら例外ではなかった。

そんな阿蘇先生のことを、千賀子は陰で『Asshole (お尻の穴=馬鹿)』と呼び、心の底から軽蔑している。彼女はまだ一年前の、例の件を根に持っている。

その日は朝から全校集会があった。連日の過労から、つい居眠りをしてしまった千賀子は、その場で阿蘇先生から公開説教を受け、なんと体育館から途中退場を命じられたのだ。

それは屈辱以外の何ものでもなかった。職員室に戻った時、私は初めて千賀子の涙を見た。

「ちょっと早いけど、もう行くわ。息が詰まりそうだから」

千賀子は教材一式を無造作に抱えて、席を立った。阿蘇先生と同じ空気すら吸いたくないのだろう。気持ちは分かるが、いい加減忘れた方が気も楽になるのに、といつも思う。結局、阿蘇先生には永久に、誰も敵わないのだから。

しかし、私はその後ろ姿を見ながら、千賀子のことを羨ましく思った。彼女はたとえ2020年になったとしても、何の苦もなく英語で授業ができるのだ。

そしてその時、生徒たちは羨望の眼差しで教壇に立つ彼女を見つめるに違いない。

英語をペラペラに話せるって、一体どんな気分なんだろう。大空をスイスイと飛び回る鳥みたいなものだろうか。それってなんて自由なんだろう。

だとしたら、私は何? それを地上で見上げる牛みたいなものだろうか。モー、やってらんない。草めっちゃ食べてやろう。

私は「ふー」と大きなため息を吐きながら、自分が担任を務める三年三組の出席簿を書類の束の中から探し始めた。2020年。私の拙い英語を聞いて、生徒たちはどんな顔をするのだろう。呆れるのだろうか。笑うのだろうか。憐れむのだろうか。

保護者から「あんな英語の話せない先生に、私の大事な子供を預けたくありません」なんてクレームだって来るのだろうか。その時、私に居場所はあるのだろうか。もしかして私は職業選びを間違えてしまったのかもしれない。

ふと私は、自分の中学生時代のことを思い出した。私の生きる方向が定まった瞬間である。そしてそれは、父との記憶でもある。

(次回に続く)

日本人が学んできた「英語」とは何だったのか?


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