英語という「教科」から、英語という「言葉」へ
金沢優、2年ぶりの新作、英会話+ハウツー小説「もしなる2」

「もしなる2」7.カントリー・ロード

7、カントリー・ロード

その日、家に着いたのは夜の12時を回ってからだった。この仕事を始めてから、すっかり夜型の生活になってしまった。

というのも、塾の授業時間は夕方五時から、夜の九時半である。その時間帯が仕事のメインとなる以上、どうしても活動時間が後ろ倒しになってしまう。正直なところ、この2年で3キロも太ってしまった。

帰宅すると、まず私はシャワーを浴びる。そして、その次の作業は、日記をつけることだ。

「毎日、必ず日記をつけなさい。今日一日を過ごした、という記録を形に残しておくの。忙しい時こそ、書くの。嫌なことがあった時こそ、書くの。きっとその記憶が、かけがえのない財産になる時が来るから」

亡くなった、母の詩帆に言われたことだ。そう、日記を書く習慣は、小学生の頃から、未だに継続している。そしてこの作業はきっと、死ぬまで続けるだろう。それくらい、私の「生活の一部」になっている。

そして母のことを想うと、最近、ふと四葉のことも考えるようになった。そう、私と四葉の境遇は、母がいない、という点では一緒である。

ちなみに四葉には「母の記憶」が全くないらしい。生まれてすぐに離婚し、今の父親に育てられたようだ。そのため、写真でしか母の顔を知らない。

「まあ、こんな可愛いうちを捨ててったくらいやからな。極悪非道なヤツに違いないわ。生きとろうが死んどろうが、関係ない」

サラリと言う、その口調が、逆に痛々しかった。そして、恐らくそれは家庭の中でも、父親がそうやって言い続けてきたことなのだろう。そう、熊田家の中では、母親はいつだって「裏切り者」扱いなのだ。

口癖というものは移るものだ。私も実家に帰った時、いつも父から「お前はいつの間にか、母さんと同じことを言うようになってきたな」と言われる。自分でも意識していないので、その度にむず痒い気持ちになる。

母が亡くなったのは、ちょうど私が高校2年生だった時だ。享年44歳と、当時17歳の私には、あまりにも早すぎる別れだった。

本当に優しくて、そして我慢強い母親だった。乳がんが見つかった時も、「私、ちょっとだけ運が悪かったみたいね、由璃」と目に涙を溜めて、ニコリと笑った、あの優しい顔が今でも忘れられない。恐らく私を気遣って、無理に明るく笑ったのだろう。その強さが、歳を重ねる度に、よく分かるようになった。

ちなみに私は「反抗期」というものを、ほとんど経験していない。というのも、生まれた時から、母がよき理解者だったからだ。どんなにつまらなくても、私の話を最後まで聞いてくれた。

そして、色んなことを教えてくれた。シロツメクサの花冠の作り方、筆算のやり方、空はどうして青いのか。私の質問に答えられなかったら、一緒になって考え、そして調べてくれた。母のことを思い出す時、これら一つ一つのシーンが、まるで昨日のことのように浮かんでくる。

そして、男性と付き合う時も、ふと母の言葉を思い出す。

「いい? 由璃。もしも男性とお付き合いするなら、一度、その人の本棚を見なさい。どんな本を読んできたのか、何を培ってきたのか、何に興味があるのか、そしていつも何を考えているのか。その人のことは全部、その本棚が教えてくれるの」

私が中学生で、初めて彼氏ができた時に言われた言葉だ。

そしてそれ以来、私は異性と深く関係を持つ前に、必ず相手の本棚を見るようになった。そして、母の言葉は驚くほど、恋人選びの参考になった。

そう、やはり全く興味を惹かれない本棚の持ち主とは、話が噛み合わなかったのである。付き合う時間と比例してすれ違ったり、人として興味を失ってしまう。そしてその時、ひょっこりと母がどこかから顔を出し、「無理して付き合う必要はないのよ、由璃。流されず、自分を大切にしなさい」と言ってくるのだ。

そのため基本的に私は、「よく本を読む男性」に惹かれる。以前、四葉に出来杉君がタイプだと言ったのは、単純に本をよく読むキャラクターだったからだ。ちなみに以前、ちーちゃんに「好きなタイプはトム・クルーズ」と言ったのは、ちょうどその前日に、友達と一緒に映画『ミッション・インポッシブル』シリーズを見たからに過ぎない。つい、トムの顔が頭をよぎった。

そう、これはあまり人には言ったことがないが、私のタイプは昔っから変わらない。思いっ切り二次元だが、ジブリ映画の『耳をすませば』に出てくる、天沢聖司くんである。

これはきっと、母の影響も大きい。というのも、母も天沢君のことが大好きだったし、結婚した父だって読書家だ。母は生前こっそりと、「私はお父さんじゃなくて、本当はお父さんの『本棚』に惚れたのよ」と、ペロリと舌を出して、私にだけ教えてくれた。これはいまだに父も知らない、二人だけの秘密である。

そして、母は読書以外に、歌も大好きだった。邦楽も洋楽も、何でもいけた。そして幼い頃から、よく一緒に歌を口ずさんできたものだった。私がC-C-Bを知っていたのも、そのせいだ。

そして、これも歌好きの四葉と、シンクロしてくる。そのため、たまに四葉は、母があの世から送り込んできたのではないか、と勘ぐる時さえある。

特に四葉が授業中、『耳をすませば』の主題歌、『カントリー・ロード』を不意に口ずさんだ時、私はつい、泣きそうになってしまった。というのも、母が亡くなる前、何度も一緒に病室で歌った記憶が蘇ったからだ。まるで隣に母が、ひょっこりとあの世から舞い戻ったような気がした。

そして母が静かに息を引き取ったその日、ポッカリと心に穴が空いた私は、日記に何も書くことができず、『カントリー・ロード』の歌詞でスペースを埋めた。そしてふとその時、私はこう思った。母はどこか新しい場所に「旅立った」のではなく、生まれたところに「帰った」んじゃないか、と。

そう思うと、私の心は少し軽くなった。なぜなら、「行く」よりも、「帰る」の方が、本人だって楽しいに違いないからだ。

そしてまたいつか、私も母と出会える気がした。あと数十年後、私も同じ場所に帰るのだ。だから、それまで必死にこの世界で頑張らなきゃ。そうしないと、次にまた会った時に、「生きていたくせに、何をやってたのよ、由璃」と優しく叱られるかもしれない。そう思うことで、私は辛かった母の死を、何とか乗り越えた。

しかし、だ。「現実の世界」はあまりにも無味乾燥としており、時には重く、苦しく、気の持ちようだけで何とかなるような、甘いものではなかった。

母の死後、問答無用に大学受験がやって来て、訪れた大学生活もあっという間に過ぎた。そして就職を迎え、今は忙しない、一塾講師である。気づけば川のように流れる時の移ろいも、その一瞬一瞬がとても長く、毎日のように息切れを感じる。

そして塾の現場は、「現実の塊」だ。入塾してくる子もいれば、辞める子も毎週のように出てくる。成績が上がらない、授業料が払えない、不登校になったから塾はもういい。そういった電話を、ほぼ毎日のように受ける。

そして、上からの締め付けも、以前の職場より遥かにキツい。勤務を重ねるたびに、心と体が擦り切れていくのが、自分でも手に取るように分かる。

そのため、一日が終わり、シャワーを浴び、日記と向き合った時、ふーっと心がリセットされる気がするのだ。そして、ふと母のことを思い出すと、トゲトゲした気持ちが少し、優しくなる。

ふと私は、日付のページをめくった。もう、あと1ヶ月で夏休みが来る。

まだ具体的な日にちは決めていないが、今年も千葉にある実家に帰ろうと思う。まず、母のお墓参りをしたい。そして実家には、祖母、父、兄夫婦が一緒に住んでいる。そこで何もかも忘れて、ボーッと過ごすのも悪くない。正直なところ、こうして思い巡らす時間が、一番楽しい。

しかし、その瞬間、四葉のノートがふと私の視界に入り、「あっ」となった。そう、バッグの中から、ノートの角がちょこんと出ていたのだ。どうやら、間違えて持ってきてしまったようだ。机の上が少し乱雑だったから、帰る時に、紛れ込んでしまったのだろう。

私はそのノートを取り出し、パラパラとめくった。確かに今日、笠原さんが指摘したように、誤字脱字が沢山あった。そして、日本語としておかしいものもチラホラと目立った。あっ、また「Wednesday」のスペルも、「d」ではなく「b」になっている。隣に座っていたのに、全然気付けなかった。やれやれ、だ。

そして私は、ふと昨日のちーちゃんとの面談を思い出した。志望校に関する話がメインだったが、最後は脱線して、四葉の話になった。

ー「よっちゃんが初めてバッターボックスに立った時、カッコよかったなあ」

そう、四葉は中学一年生の時に、関西から転校してきた。そして、すぐにソフトボール部に入部した。ちーちゃんはそこで初めて四葉に出会ったらしい。

そして四葉にとって、部活初日のことだったようだ。ちょうど、ライバル校との練習試合があり、花塚中学校は1点リードを許したまま、最終回を迎えた。そしてツーアウト満塁、一打逆転の大チャンスに、次のバッターがちょうど手のマメを潰してしまい、急遽、代打を送らないといけないことになった。

そしてその時だ。花塚中学校の監督は、なんと代打に四葉を指名したのだ。なんでも、練習時間に四葉のスイングを見て、かなりの好打者だと見抜いたらしい。

もちろん、代打に送られるのが四葉だと聞いて、チーム内も騒然となった。しかし、それも当然である。控えのバッターはまだ他にも沢山いるのに、転校してきたばかりの、ユニフォームすらまだない、体操服姿の一年生が、こんな大一番に、代打に起用されたのだ。

そして指名された方も、「いや、いいです。私、まだ入ったばかりなので」と断るのが普通である。先輩にだって気を遣うものだ。しかし、四葉は交代を告げられた時、バットを持って、こう言ったそうである。

ー「お前ら、任しとき。これでも向こうで、四番打っとったんやで」

この発言で、更にチームは騒然となった。ちーちゃんが言うには、その時、四葉はカッカッカッと笑って、その状況を楽しんでいたらしい。いかにも四葉らしいではないか。

そしてチームメイトがゴクリと唾を飲み込みながら見守る中、四葉はブルンと一振り素振りをして、ゆっくりとバッターボックスに入った。もはや、強打者の風格である。そして、向こうのチームも、データにない新人がいきなり送られてきて、かなり戸惑っていたらしい。

しかし、問題はその後だ。なんと四葉はあろうことか、バットを空に向かって、大きく掲げたそうである。そう、「予告ホームラン」だ。もはや、漫画の世界のようで、みんなポカンと口を空けたらしい。まあ、それはそうだろう。

「さぁ、かかってきーや!」

挑発され、きっと相手ピッチャーも逆上したに違いない。放られたボールは、四葉の内角高めに向かって、一直線に軌道を描いた。

もちろん、普通なら、怯んで体ごとのけぞるところである。しかし、だ。

「もらったで!」

そのコースを初めから狙っていたのかもしれない。フルスイングされたバットは、ボールの真芯を撃ち抜き、レフトの頭上を大きく越えていった。

ちなみにボールが飛んだ瞬間、野手は一歩も動かなかったそうだ。それくらい、打った瞬間にホームランだと分かるような、大飛球だったに違いない。

そう、こうして四葉は、入部初日に代打逆転満塁ホームランという、鮮烈デビューを果たしたのである。ちーちゃんが一瞬で四葉のファンになってしまったのは、当然のことかもしれない。

私はこの仕事をしていて、最近よく思うことがある。それは、人には生まれ持って備わった「素質」というものがある、ということだ。勉強だけがこの世の全てではない。話が面白いのも、スポーツができるのも、そして歌が上手いのも、立派な能力の一つだと思う。

子供と接し、まずはそういうところを見つけて、褒めてあげる。そして、仲良くなってから、勉強の方に少しずつ流してあげる。そもそも勉強のためにこの塾に来たのだから、ここだけはブラしてはいけない。そう、これが私が何年もかけて、培ってきたスタイルだ。

そして、ちーちゃんは英語が得意である。私も1学期間、受け持ったことがあるが、本当によくできた。学校でも、トップクラスの実力である。そして本人は将来、英語を使った仕事をしたいらしい。

私はまず、その夢を褒め、ひとまず外国語学部がある、偏差値が高めの、ある進学校を志望校として提案した。というのも、そこは夏休みにはニュージーランドへの短期留学プログラムもあり、「英語を話せるようになりたい」と思っているちーちゃんには、ピッタリの高校だったからだ。そして、どうやら本人も、元からそこを狙っていたようである。

もちろん、できれば四葉も一緒に行って欲しいが、偏差値が圧倒的に足りない。英語はもちろんだが、他の科目が壊滅的なので、受けても合格の可能性は限りなく低いだろう。そう、高校入試は、5科目受験である。加えて四葉の、3年生までの評定も酷いものだ。かろうじていいのは、体育と音楽くらいである。

そのため、入試当日、どれだけ点数が取れたとしても、評定が足を引っ張るだろう。そして、もしも仮に奇跡で入れたとしても、短期留学に行くお金は、熊田家にはないはずだ。

私はフー、とため息をついた。あれだけ「英語を話せるようになりたい」と言っている子に、私は一体、何を遺しておいてあげられるのだろうか。きっと高校に受かったら、四葉はこの塾を辞めるに違いない。

いや、仮に続けたとしても、ここで英語を話せるようにはならないだろう。というのも、あくまで私たちは学習塾だ。英会話スクールではない。そのため、専門的なバックアップはできない。できてもスピーキングテストのお手伝いくらいだろう。

そして、お金だって続かないはずである。というのも、高校生の授業料は30%割増になる。今でも授業料を滞納する熊田家にとって、高校も継続する、という選択肢はないだろう。

結局だが、塾は学校と違い、授業料が払えなければ、もう赤の他人となってしまう。塾を辞めれば、もう私が教えることはできないのだ。しかし、学校では、四葉は先生に質問ができない。そして高校に入り、またエリート先生みたいな人が担当になれば、英語自体、諦めるに違いない。もう、何と息苦しい社会なのだろうか。

ちーちゃんはもちろん、四葉にも将来、英語を話せるようになって欲しい。だから、せめて今、自分が彼女たちの「英語の先生」として、接していられる以上、何とかその道だけはつけておいてあげたい。

日記にはそうした私の今の思いを綴り、そして、今日聞いた英会話研修の話も記し、私はフーと、もう一度、大きなため息をついた。

ーさてと、だ。問題は今からだ。

私はスリープ状態にしていた、ノートパソコンを起動させた。画面に、『どうして日本人は中高6年間も英語を勉強しているのに、話せるようにならないのか』というタイトルの、ワード文書が浮き上がった。そう、仕事の合間にタイトルだけは打ったのだが、その後が全く続かなかった。

どうして日本人は、ここまで英語を話せないのだろうか。私は帰りの電車の中、そして駅から自宅まで、ずーっとそのことを考えていた。

色んな理由が考えられる。まず、圧倒的に「外国人講師との授業」が足りない。学校の週に1回50分くらいの授業では、英語を話せるようになるわけがないではないか。しかも、それは集団授業である。結局は友達同士でロールプレイングをすることとなり、やはりそれは実戦的ではない。クラスももっと少人数制にして、かつ授業数も増やさなければいけないだろう。

しかし、だ。そうすると、予算がもっと必要になってくる。この切り口でレポートを仕上げても、解決策が何も見えてこない。それで終えてもいいのだろうか。恐らく提出前に、笠原さんが何か注文をつけてきそうだ。

ひとまず私はネットに繋ぎ、『英語 話せる』などと検索をかけ、色んな人の意見を参考にしようと思った。

しかし、だ。まず、浮かび上がってくるのは、沢山の「広告」だ。

『自然と英語が口から飛び出す驚愕のメソッド』『たった一週間、○○するだけで英語が話せるようになるって本当!?』『入会後、3ヶ月でまさかのTOEIC350点アップ!』など、仰々しい宣伝文句が所狭しと画面を埋めている。クリックして、中身を読むと、そのどれもがもっともらしく見える。

そしていかにも「俺、仕事ができるぞ」というオーラが出たサラリーマンや、「私、今まで英語とは無縁の人生でした」という感じの主婦たちが、こぞってその教材やスクールの成功体験を語っている。

ただ、いつも思うのだが、こういう人たちは、本当に「実在する人物」なのだろうか。下手な話、そこの社員さんかもしれないではないか。疑い始めると、何から何までが胡散臭く見えてくる。まるでダイエット商法みたいだ。

「っていうか、そんな魔法みたいな方法があるのなら、どうして文科省とかにそれを売りに行かないの? 何で大衆にちょこちょこ売ってんの?」

いつの間にか、ブツブツと本音が口から出てしまう。

そして私はこれから始まる、英会話研修のことを思い、心がどんよりと重くなった。

そう、恐らくこれから毎週のように、課題に追われることになるだろう。そして夏休みの間だって、それが食い込んでくる可能性が高い。いや、それは夏休みだけの話ではない。今後、ずーっと、それに縛られる可能性がある。

そう、私はわかっているのだ。「英会話」というものの、ハードルの高さを。

ー「その人のことは全部、その本棚が教えてくれるの」

私はふと、机の隣にある本棚を見た。ほとんどが学習参考書である。この仕事を始めてから、買い揃えたものだ。社員である以上、少なくとも中学生までは全科目、教えられるようになっておかないといけない。

しかし、その学習参考書の後ろには、大量の「英会話本」が埃をかぶって眠っている。

そう、今までどれだけ私は、「英会話」に挫折してきただろう。

私は参考書をどけて、久しぶりにその「残骸」を見回した。大量のフレーズ集や『日本人の間違った英語』という切り口の本、英作文、発音、音読、TOEICの本、そしてハウツー本などだ。ざっと見、50冊はあるだろう。

最近はもう、あまり読んでいないので、少しは売りに出そうかな、といつも悩むが、どうせ大したお金にもならないはずだ。であれば、またいつか使う機会が来るかもしれないと思い、未だに全て所持はしている。

そう、今まで本当に色んなものに手を出してきた。学生時代、英語は得意科目だったので、将来はちょっと頑張れば、すぐにペラペラになるだろう、と甘く見ていたのだが、こんなにも「話す」のが、難しいものだとは思ってもみなかった。

TOEICも一時期、頑張った。初めて受検した時、500点前半だったが、何とか1年で、750点にまであげた。

一応、それくらいのスコアがあれば「十分に英語でアピールできる」ということらしいのだが、大学二年の時に初めて受けた英会話の授業で、ネイティブを前に、英語が全く口から出てこず、私は愕然とした。こんなにも英語が喋れなかったんだっけ、私って。文字通り、血の気が引いた。

「『TOEICのスコア』と『話せる』は全くの別物だからねー。向こうに住んだら、全然話せなくてビックリした(笑)」

二年間、英語圏で留学をしていた大学の先輩が、そう言っていた。

それを聞いてから、私のTOEICへのモチベーションは一気に下がってしまった。そう、私は「TOEICのスコア」と「話せる」は少なからず「比例関係」にあるものだと思っていた。しかし、このスコアをどれだけ上げ続けても、英語を話せるようになるわけではないのであれば、私にとっては魅力的なコンテンツではなかった。

就職のため、昇進のため。そのために私は今まで、英語を必死になって勉強してきたのだろうか。そう思うと、何だか急に色褪せて見えた。外国人を前にして何にも話せないのであれば、それは「使える英語」ではない。「張りぼての英語」だ。

そして、「英語を話せるようになりたい」というのは、実は母の夢でもあった。

「お母さんも学生時代、英語は得意だったんだけどね。やっぱり話せるようにならなかったなー。残念無念」

そう、ここにある英会話本も、その数冊は母が買ったものである。

私が中学生だった時、よく母にも英語の質問をした。ほぼ全てにおいて、母は答えてくれた。しかし、そんな母も結局、「英会話の頂」には届かなかった。もしかして、私が英会話をここまで意識するのは、そんな母の雪辱も晴らしたいからなのかもしれない。

しかし、だ。TOEICの勉強から、フレーズ集メインの勉強に切り替えたものの、その学習は「苦痛」でしかなかった。そう、どれだけフレーズを頑張って覚えても、それが積み上がってこないのだ。一つ覚えれば、一つ忘れてしまう自分がいた。

大学受験やTOEICは違うのだ。一つ単語を覚えたら、それがすぐに問題に出てくるので、しっかりと消化ができる。しかし、英会話フレーズは、日常「使う機会」がないのだ。消化ができない。そのため、まるで波打ち際に、砂のお城を立てているような気分になった。そして突然、波が全てをさらっていき、せっかく建てた塔も、ガラガラと崩れ落ちてしまうのだ。

また、フレーズ集の中身にも納得がいかないところが沢山あった。例えば、あるフレーズ集には「頑張れ!」は「Do your best!」だったのに、違うものには「Hang in there!」とあった。

それが私を更にイライラさせた。一体、どっちなんだろう。そしてどっちも本当であれば、まだ他にも沢山「頑張れ!」があるのではないか。何だか、「ゴールのないマラソン」をしているような気持ちになった。

そう、受験であれば、文法書や単語帳などを一冊、完璧にこなせばそれで終わりだったが、こと英会話に関しては、「限り」がないのである。毎月毎月、新しいフレーズ集が書店の棚に並び、その度に違うフレーズが紹介されており、目の前が暗くなった。何だか、踊らされているような気分になった。振り回されている、というか。

もちろん、短いものであれば、すぐに覚えられた。例えば「Actually:実はね」や「Well:ええっと」などだ。ただ、こういう繋ぎ言葉をたとえどれだけ沢山覚えても、その後の文章が全く組み立てられないのだ。そのため、大学の英会話の授業も、繋ぎ言葉を馬鹿みたいに連発するだけで、相変わらず中身はボロボロのままだった。

こうしてフレーズ集を一旦横に置き、一時期、英作文のテキストに走ったこともあった。しかし、これも同じように、「苦痛」でしかなかった。というのも、何度やっても、模範解答通りの英文が組み立てられなかったのである。

そもそもだが、私は学生時代から、英作文が大の苦手だった。そのため、それを英語勉強のメインに据えるのはやはり辛く、1ヶ月も続かなかった。頭が痛くなった。

こうして一時期、英語の勉強自体が嫌になってしまった。「自分には英語のセンスがないのかも」と、自信まで失った。学生時代、あれだけ得意で、大好きだったのに。英語へのモチベーションも、そこで一旦、プツリと切れた。

もちろん、今まで持てる時間を、全て英語に使ってきたか、努力をしてきたか、と問われれば、そんなことは全くない。人並みにアルバイトだってしてきたし、それなりに友達と遊びに行ったり、全体的にダラダラと過ごしてしまった時期もあった。全力で頑張った、と胸を張れない。

これは個人的な見解だが、何だか私も含め、日本人全員が、英語に対して「後ろめたい気持ち」になっているような気もする。まるで、国家レベルで努力不足、みたいな。しかし、どうして日本人がみんな、英語に対してここまで卑屈にならなければいけないのだろう。

別に日本人全員が、英語を話せるようになる必要はないとは思う。笠原さんも今日、「やりたい人が、後でやればいい」と言っていた。その意見も、もっともだ。

しかし、だ。せっかく少なくとも中高6年かけて必死にやるであれば、そしてやってきたのであれば、それはある程度でも、「話せる」ようになっておかないと、勿体ないではないか。あまりにも日本人は、話せなさすぎる。

楽譜の読み方を習ったのなら、楽器が弾けるようになるに越したことはない。ある程度弾けるのと、全く弾けないのでは、大違いだ。それに、日本人だけが、世界の中で「全く英語が話せない」と、笑い者になっている。こんなに英語を必死に勉強しているのにも関わらず、だ。

国際的なテストを見ても、日本はアジア最下位レベルだ。そして、「スピーキング」の項目は、特に低い。やはり一日本人として、この事態を由々しく思う。子供に英語を教えている以上、尚更だ。

そう、私たちは、絶対に努力はしてきたはずなのだ。そして少なくとも私は、受験や試験前、寝る時間も削って、英単語を覚えた。文法書だって、学校の先生に言われた通り、何周もした。長文問題だって沢山解いた。そう、四葉が言うように、「下準備」だけは絶対に万全だったのである。

ーそれなのに、英会話の授業では、驚くほど、話せなかった。

ちなみにどこかの大学教授が以前、テレビで「週に英語を学校で5時間習ったとして、一月計算で20時間。年間実質10ヶ月とすれば、合計で200時間。それを中高6年分かけてもたった1200時間ですよ。そんな短い時間で、英語なんか話せるようになるわけがないじゃないですか」と得意げに語っていたが、それでも道案内や自己紹介ひとつ満足にできないのは、余りにもお粗末過ぎないだろうか。

そして、恐らくその数字をどれだけ積み上げても、日本人は英語を話せるようにはならない気がした。そう、恐らく、「時間の問題」ではない。もしも高校に四年生や五年生があったところで、英語を話せるようにはならないだろう。

こうして私は、英語のハウツー本を読むようになった。そう、私に必要なのは、「やり方」だったからだ。とりあえず、教材を変えないと。そう思い、私は何冊も買い揃えた。

しかし、この本なら、いやこの著者さんだったら、私を話せるようにしてくれるかもしれないと期待して購入はするものの、残念ながら、そのどれもが私にはしっくり来なかった。

例えば海外ドラマがいい、と多くの著者さんが言っていたので、ある海外ドラマのDVDセットを一括購入して、ずっと見続けたこともあった。しかし、やはりそれも「苦痛」でしかなかった。そう、彼らの会話が、全く聞き取れなかったのである。

そして会話の中にスラングも多く、字幕をオンにしても、訳せないセリフばかりだった。「今まで習ってきたことのない英語」が、画面の上に溢れていた。

それでも我慢して、何とか二ヶ月間見続けたが、やはりこのやり方は私には合わない、とギブアップした。

そして、だ。とてもおかしなことに、著者さんによっても、英語に対する主張が丸っ切り違っていた。

「カタカナ発音でいい」というものもあれば、「カタカナ発音はダメだ」というものもある。「聞き流すだけでも話せるようになる」というものもあれば、「聞き流すだけでは話せるようにはならない」というものもある。

そして、著者さんのプロフィールを見ると、どちらも立派な「英語の肩書き」があるのだ。これは一体、どういうことなのだろうか。

どちらかが嘘をついているのか、それともどちらも嘘なのか。探せば「海外ドラマではダメだ」という人だって出てくるに違いない。一体、何なんだろう、この現象は。まるで「宗教」みたいだ。四葉の授業ではないが、本当に日本の英語はカオスである。

再び私は、本棚から視線を戻し、パソコンに向き直った。そして、ひとまず何でもいいので、書き進めようと思ったが、やはり出だしが決まらなかった。

するとちょうどその時、開いていたネットの画面に、ポコリと短期留学の広告が浮き上がった。

ー「海外で『使える英語』を数ヶ月で身に付けよう!」

ありふれたキャッチフレーズと一緒に、見栄えのいい、スーツ姿の男女が、世界地図に向かってジャンプしている写真が載っていた。

「・・・やっぱり、会社を辞めて、こういうのにチャレンジしてみようかなあ」

そう、最近ふと、そんなことを考えたりする。結局、国内でコツコツと英会話の勉強をするよりかは、思い切って海外に留学した方が、絶対に早く英語をマスターできるはずだ。

そして、こんなことを考えるようになったのは、四葉の影響も多少なりともある。「人生、一回ポッキリやからな」。四葉のセリフが地味に響いてくる。

少し肩が凝ってきたので、私はひとまず一旦休憩しようと思い、ベッドに倒れ込んだ。ふー。そして、枕の横に置いておいたケータイを手にした。

ちなみに私はi-phoneユーザーである。そして、ある英語上級者が「Siri(音声認識システム)」の設定を英語にすれば、英語力が劇的に上がると言っていたので、数ヶ月前に言語を切り替えていたことを、今、不意に思い出した。

しかし、だ。普段から私自身、「Siri」を全く使わない人間なので、やはりこれも自分には意味がないアドバイスだった。そう、こういった、私には合わない、英語のアドバイスが沢山ある。

そして私は一ヶ月前、ある英会話アプリをダウンロードしたことも、ふと思い出した。

ほとんど使っていなかった、そのアプリを久しぶりに起動すると、受信箱にフレーズが30通ほど溜まっていた。そう、毎日『すぐに使える超簡単便利フレーズ』が、無料で届く仕様になっている。そして課金をすると、そこにネイティブ音声が流れたり、文法の補足解説など、色々と機能が増えるらしい。

「ハー・・・」

そう、しかし、だ。

例えどれだけ便利フレーズを摂取したところで、結局、それらを「使う機会がない」のだ。そのため、結局何一つ吸収されず、全て排泄されてしまうのは、学生時代からの不変の悩みだ。

「『すぐに使える』って・・・だから、使う『場所』がないんだって。分かってよ、この現実を」

また本音が漏れた。

そう、結局は、ここなのである。例えどんなに多機能なアプリを使おうが、どんなに分かりやすい表現集を買おうが、最終的に辿り着く場所は同じだ。日本人の英会話学習者は、この「使う場所がない」という、大きな壁にぶち当たって、木っ端微塵に砕け散っているのだ。

ふと私は、この「環境の問題」という切り口でレポートを仕上げようかな、と考え、アプリを閉じ、ホーム画面に戻った。待受画面の、天沢聖司君が優しく微笑んでいる。

「ハー・・・」

私は思うのだが、日本人にとって英会話とは「片想い」と同じなのかもしれない。届きそうかな、と思いきや、全然届かなく、そしていつの間にか私の手元から遠く離れ、それでも想い続けているような。

もっと大学生時代に頑張っておけばよかったのかな。いや、どうだろう。もう一度戻っても、私は一体何を使って、どう勉強するのだろう。やはり、皆目見当もつかない。よくある聞き流し教材とかを数年続けていれば、効果もあったのかな。いや、どうだろう。もう、何も分からない。

そして私は、自分の中に閉じ込めてきた、「触れられたくない記憶」を久しぶりに振り返ることにした。そう、実は私は数年前、「英語を使う機会」を求めて、立て続けに大きな失敗を繰り返してしまったのである。その当時の日記を見直すと、今でもキリキリと、胃がうずく。

(次回「8、TOO MUCH PAIN」に続く)

日本人が学んできた英語は「言葉」だったのか?


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