日本語に切り替えず、英語のまま理解する
金沢優、3年ぶりの新作「もしなる2」連載中!

「もしなる2」第2部2章.鳥は翼で飛び、人間は口で話す

2、鳥は翼で飛び、人間は口で話す

教室の中に入り、まず私が最初に驚いたのは、そこが畳張りだったことである。英会話教室に「和」の造りは、違和感しかなかった。しかし、そもそもながら、古いビルだ。今流行りの、スタイリッシュな教室を期待する方が、間違っているのだろう。

ただ、だ。それ以上に驚いたのは、中にはベッドやテレビ、冷蔵庫、洗濯機、そしてシャワーボックスまで備え付けられてあったのだ。

「何か・・・ここに誰か、住んでそうだな」

確かに。まるで、「友達の家」にお邪魔したような、不思議な感じがした。また、ベッドの枕元に置かれた目覚まし時計が、「リアル感」をより引き立てている。

そして教室の外にはなるが、トイレや給湯室もあったので、確実にこのフロアで、最低限の生活は送れそうだ。

「ワンワン!」

ふと、先ほどの柴犬、「アップル」が吠えた。

そうだ、少なくともアップルに関しては、ここにリアルに住んでいるのかもしれない。出入り口の反対側に犬小屋が置かれており、その前にアップルが、放し飼いの状態で座っていた。やはり、こちらにお尻を向けている。

そもそもながら、ビルの3階に犬がいるのもおかなしな話なのだが、犬小屋まであったら、もはや清々しいほどである。このビルにいる以上、色々と常識で考えない方が良さそうだ。

そして、教室の中央には長机と座布団がズラリと並べられ、子供たちがそこに一人ひとり座って、テキストを広げている。ふと私は昔、テレビの時代劇で見た、寺小屋の風景を思い出した。

しかし、次の瞬間だ。思わず私は、「え?」となった。そう、というのも、子供たちがいきなり、英語を「読み上げ」始めたからだ。

「She’s eating a piece of pie, she’s eating a piece of pie…」

文章自体、難しいものではない。中学生にだって、簡単に訳せるものだ。ただ、子供たちは奇妙なことに、まるで英語を「身体に刻む」ように、何度も繰り返し、音に出しているのである。

そして、不思議なことに、子供たちは「ジェスチャー」まで交えていた。

例えば今の文章であれば、まるで手にパイを持っているかのように振る舞いながら、英文を読み上げているのである。それに何か、「特別な意味」でもあるのだろうか。

気になった私は、近くまで行き、子供たちの手元を覗き込んだ。どんなテキストを使っているのだろう。

しかし、そこで私はまた、思わず「え?」となった。そう、というのも、そのテキストには文字が一切なく、「イラストのみ」だったからである。

そ、そんなバカな。文章を読み上げる以上、そこには「テキスト文字」が必要なはずである。私たちが塾で使っているテキストも、当たり前だが、ほぼ「文字のみ」で構成されている。

ー一体、この子たちはどうやって、英語を口にしているのだろう。

そして、その時に私が初めて気付いたのは、子供たちがみんな「イヤホンをしている」ことであった。ワイヤレスだったので、全く気付かなかった。

そう、どうやら「文字のない、イラストのみのテキスト」を見ながら、英語の音を聞き、ジェスチャーを交えながら、英文を暗唱しているのである。それも、同じ文章を繰り返し、繰り返し、だ。

ー何なんだろう、この練習は。

そして、だ。何よりも衝撃的だったのは、その「発音の良さ」である。そう、ビックリするくらい、綺麗な英語だったのだ。もちろん、私なんかよりも、遥かに上手い。

「何だ、こいつら・・・全員、帰国子女か?」

いつの間にか、松尾さんも私の後ろにいて、目を丸くして驚いていた。

もちろん、私たちの塾に、こんな綺麗な発音ができる生徒は、恐らく一人もいないだろう。いや、そもそも、だ。「発音をさせたことすら、ない」のだ。

そう、なぜならテストで扱う発音の問題は「実際に発音をする」のではなく、「どこにアクセントがあるのか、丸で囲め」や「下線部の発音が同じものを選べ」のようなものだからだ。

何だか地面がグラグラと揺らぎ始めたみたいに、私は不安になってきた。そう、今まで置き忘れてきた「大事な何か」を今、目の前に、まざまざと見せつけられているような気がしたからだ。

その時ふと、部屋の一角で、大きな歓声が上がった。見ると、子供たちが、先ほどの外国人男性と一緒に、何やら「カルタ遊び」のようなものを始めたようだ。

恐らくあの外国人男性は、ここの専属講師なのであろう。しっかりと子供たち一人一人の名前を呼んでいるので、コミュニケーションだってガッチリ取れていそうだ。

そして子供たちの方も、外国人に対する恐怖心などは、微塵も感じられない。英語を使って、しっかりと意思疎通をしている。そう、そこには人種や言葉の壁など一切なく、全てが綺麗に「混ざり合っている」のである。

すると、今度は違う方向から、英語が聞こえてきた。見ると、壁際に一台のデスクトップパソコンが置かれており、男の子が一人、画面越しにネイティブと英語で話していた。

「Actually, I don’t like natto. How about you? Have you ever tried it?」

恐らく、オンラインレッスンだろう。どうやらこの教室は、実際にネイティブと話すコースと、オンラインの二つを導入しているようだ。

そして、まだまだその男の子の英語は拙かったが、しっかりとコミュニケーションが取れていた。また、もしかしてだが、私よりも英語が話せるかもしれない。それくらい、言葉が口から出ているのである。

「な、何か・・・す、すごくないですか、ここ」

「・・・」

松尾さんの返事はなかったが、恐らく同じ気持ちだったはずだ。それくらい、ここの教室には、「私たちの塾にはないもの」に溢れていた。

ーそう、それは英語の「音」である。

何も聞かず、何も口から出さず、黙々と文法やスペルの書き取りをやっている私たちの塾と、何から何まで、違っている。

軽い目眩が、私を襲ってきた。まるで、異空間に引きずり込まれたような。一体、この教室で、いや、この施設で何が行われているのだろう。

ー「じゃあ、慎吾君は来週から週二回通う、ということで、よろしいでしょうか?」

ふと廊下から、有紀さんの声が聞こえてきた。

そう、先ほどから有紀さんは、子供を迎えに来た保護者の方と、立ち話をしている。話の内容から、どうやら通学回数を増やすようだ。きっとそれは、この教室に満足しているからだろう。塾会社の社員にとって、こういう「通学回数の追加のお願い」は、何よりも嬉しい。

すると、また部屋の一角から歓声が上がった。先ほどのカルタ遊びが盛り上がってきたようで、やはり気になった私は、まだまだ有紀さんが戻りそうになかったので、そちらを見に行った。

「It’s a kind of animal that lived millions of years ago.」

外国人講師がサラリとそう読み上げた。

すると、床に並べられている、沢山の「絵札」を囲んでいた4人の子供たちが、答えの札を必死に探し始めたのだ。

「Dinosaur!」

次の瞬間、一人の女の子が、発音しながら、一枚の絵札を「バン!」と弾いた。それは、「恐竜」の絵だった。

外国人講師は、その絵札を確認し、「That’s right! The answer is “Dinosaur”! It’s a kind of animal that lived millions of years ago. You did a good job!」と、女の子とハイタッチをした。

ーえ・・・な、何なの、これ。

また衝撃が走った。というのも、だ。実のところ私は、先ほどの外国人講師の英語が、「速くて、全て聞き取れなかった」からだ。

ということは、だ。この女の子はもちろん、ここの子供たちはみんな、先ほどの英語が聞き取れた、ということなのだろうか? そ、そんな馬鹿な。あんな、ナチュラルスピードを? 一体、どうして?

それに、だ。英語の内容だって、中学3年生で習う、「関係代名詞」まで入っていたはずなのに、どうして理解できたのだろう。

私は、まじまじと子供たちを見つめた。

そう、この子たちは演技など、全くしていない。しっかりと、講師の英語を聞き取れて、理解しているのである。だから、ゲームにも集中できている。

ーおかしい。そんなわけがない。

そう、というのも、私はこの子たちよりも、遥かに長い期間をかけて英語を勉強してきたのである。単語や文法だって、沢山覚えてきた。問題集だって、何周もこなしてきた。

それなのに、この子たちの方が、私よりも、英語を聞き取れているというのだろうか? そんな馬鹿な。私よりも、「勉強をしてきていない」はずなのに。

ちょうどその時、有紀さんが保護者の方との話を終えたようだったので、私は受付の方に戻った。足取りが少し、フラフラした。

「大丈夫か、由璃? 顔色が悪いぞ」

隣に座っている松尾さんが、尋ねてきた。

「え・・・ええ。ちょ、ちょっと、あの子たちに衝撃を受けて」

本当は、ちょっとどころではない。そして、これは確実に言えることだが、私たちの塾にいる子供たちは、恐らく誰もあのレベルに達していない。

いや、そもそも、だ。英語を教えている私よりも、あの子たちの方が、聞き取り能力、そして話す能力が高いのだ。つまりそれは、私よりも「英語力が高い」ということなのだろうか。何だか、頭の中が混沌としてきた。

「どうかしましたか、若松さん?」

戻ってきた有紀さんが、柔らかい口調で、私に声を掛けた。

先ほど軽く一度名乗っただけなのに、もうこの人は、私の苗字を覚えたのか。やはり、頭の方も切れそうだ。

そして何よりも、だ。間近で見れば見るほど、やはり天沢聖司くんを彷彿とさせてくる。もう何から何まで、ここは刺激が強すぎる。

「あの、その・・・質問なんですけど、ここの子供たちって、一体何をやっているんですか? 何だか、すごく『異質』で」

すると、有紀さんは苦笑いを浮かべて、

「いや、あの子たちにとっては、あれが『普通』なんです。そうやって、英語と『出会わせ』ましたからね」

「え?」

「『異質かどうかの判断』は結局のところ、『どう出会ったか、そしてどう育ってきたか』です。それがその子の『スタンダード』になる。『英語は環境が大事』って言いますよね? だから、あの子たちにとってはこれが『普通』なんですが、残念ながら、若松さんを含めて、多くの日本人にとっては、あれが『異質』に映ってしまうんです。だって、あの子たちは、全く英語を『お勉強』していなんですから」

「ど・・・どういうことですか?」

「あの子たちがしているのは、英語の『話者』になるための、練習です」

「話者になる・・・ための、練習?」

「はい。話者とは、『相手の言葉を聞き、そして、自分の意見を述べられる人』のことです。そのためにはまず、『耳と口』の器官を、最大限に働かせておかないといけません。よく英語を『スポーツに例える人』がいませんか?」

そう言えば、ハウツー本を読むと、よくそんなアドバイスを目にする。英語は「スポーツや楽器と一緒だ」、と。

「特に英語を母国語ではなく、『第二言語として習得した人』ほど、そう主張しますが、それは『真実』です。最大限にその器官を働かせておかないと、鈍ってしまうんです。ピアノだって、幼い頃から指を動かし続けた方が、『将来の滑らかさ』が違ってくるでしょう? それは、英語も一緒です。子供の頃から動かし続けた方が、『滑らかさ』が出るんです。結局、言葉は『年季』の問題ですからね。一ヶ月でペラペラになったという人を、広告以外で見たことがないでしょう? だから、極力『学び始め』から沢山、耳と口を使った方が、子供のためには絶対にいいと思いますよ」

そう言って、有紀さんは子供たちの方に視線を移した。とても澄んだ瞳に、私はまた、ドキドキした。

「なあ、有紀。どういうことだ? よく分からん。もっと分かりやすく言ってくれ」

「うーんと・・・じゃあ、鳥は何を使って飛びますか?」

「鳥? 翼だろう?」

「そうです。鳥は翼を使って、飛ぶんです。頭を使って、つまり、飛行理論で飛ぶんじゃないんです」

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(次回「3、歪められた事実」に続く)

日本人が学んできた「英語」とは何だったのか?


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