イメージを通し、世界を「英語のまま」切り取る
金沢優、3年ぶりの新作「もしなる2」連載中!

「もしなる2」第4部5章.「グッバイ」

5、「グッバイ」

その翌週から再開された英会話研修は、今まで以上に全てが色褪せて見えた。

そう、この英会話研修の目的は、「英語の授業が英語でできる」ように、つまり「話せるようになる」ためのものである。

しかし今、行われている単語テストは「obtain=得る、達成する」のような、「英語→日本語」の変換なのだ。しかし、これは学生時代に気が遠くなるほどやってきて、その結果、話せるようにならなかったのだ。それはその後、どれだけ英会話レッスンを取っても、だ。

何のために、社会人になった今でも、これをやらなきゃいけないんだろう。私はもう、学生ではないのだ。「話せる」と無関係なのであれば、今すべきことではない。

そしてその後に行われた、英会話のグループレッスンも、やはり意味があるものだとは思えなかった。

「Excuse me, I’d like to go to the station. Do you know where it is?」

原稿に書かれてある道案内のフレーズを、間違えないように、その通りに喋る。これを日本人同士で言い合って、果たして「英語で授業ができるようになる」というのだろうか?

子供たちといつも話している、あの他愛のないバカ話や、悩み事。それをこの研修内容から、どうやって引っ張ってこれるのだろう。そして先ほどの「obtain=得る、達成する」と書いたテストは、これにどう繋がってくるのだろう? そもそもTOEICに出てくるような難しい単語を、中学生が理解できるわけがないではないか。ではやはり、「英語で授業をする」とは、全てが無関係だ。

「The station? Actually, I’m not familiar with this place. You could go to the police station right down the street and ask there.」

そして今日は、あの例の帰国子女の子と、一緒のグループになった。私はもちろん、周りのメンバーも、かなりやりづらそうな顔をしていた。そう、グループに一人、英語がペラペラな子が混ざれば、自分の英語力の低さが一層際立ってしまい、尚更話しずらくなってしまうのだ。

「ぱ、Pardon?」

「It should be over there! You can’t see it?」

もう、書かれてある原稿を無視して、どんどんアドリブを入れてくる。そして、少し見下し感じが、表情や言葉の節々から感じ取れる。きっと、全然話せなくて、呆れているのだろう。それでよく、子供たちに得意げな顔で毎日英語を教えていられるな、と。

その時だ。ふとその子は、隣に座る私の腕を取り、

「This is my co-worker. We’re in a hurry  to get back to our office. See you.」

と、ダイアログを大きく脱線した。な、何なの、この子。

「ねえ先輩、後で一緒に、お茶しません?」

すごい、馴れ馴れしい。でももしかしてこれが、向こうのノリなのかもしれない。

「いらっしゃいませ」

研修終わり、私たちは葵ちゃんが勤める喫茶店に寄ることにした。

すると、ちょうど葵ちゃんが働いており、私を見つけた途端、手を振って近づいてきてくれた。

「あれ? ご同僚の方ですか?」

「初めまして。私、後輩の加藤ユカって言います」

そう言って、ユカさんはスッと手を差し出し、葵ちゃんと握手を交わした。その仕草が、一つ一つネイティブっぽい。

そして私はユカさんに、葵ちゃんが現在高校生で、つい最近ここで知り合ったことを軽く説明した。

「今日はバイト、何時までなの?」

聞くと、どうやらもう終わりで、その後ここで、友達と待ち合わせをしているらしい。

「じゃあ、それまで私たちのテーブルに来ない?」

いきなりユカさんが誘ったので、私も葵ちゃんも思わず「えっ?」となった。

「現役の高校生の意見も聞いておきたいから。ねえ、いいでしょ?」

もはや、有無を言わさぬ強引な誘いに、葵ちゃんも「分かりました。じゃあ、後で」と言い、カウンターの方に戻っていった。

「ね、ねえちょっと、ユカさん、強引すぎない?」

「いいじゃないですか、先輩。こうやって色々と人脈を作っていくのが、日本人って、本当に下手なんですから」

そう言って、ユカさんは先に注文を済ませて、「席、自分が取っておきますね」と奥の方へ向かった。何とも日本人離れした動きをする子だ。やはり私たち日本人と、少し考え方が違うのかもしれない。

そして、私が席に着くや否やだ。

「ねえねえ先輩、どう思います、あのくっだらない研修」

いきなりこう切り出したので、私は思わずコーヒーを吹き出しそうになった。

「く、くだらないって、そんな・・・ストレートすぎない?」

「だってえ。あんな道案内なんて意味あるんですか? この時代、GPSがあるじゃないですか。それさえあれば、一発でしょう?」

言われてみれば、確かにその通りかもしれない。

「それに研修の時点であんなにしどろもどろなんですから。実際に聞かれたら、もっとしどろもどろですよ? だから見てて可哀想で(笑)」

ケラケラと笑うユカさんに、私はじわーっと嫌な汗をかいた。そう、私だって、ところどころ詰まってしまったのだ。そのため、その笑いの矛先は、当然私にも向けられている。

「ね、ねえ・・・どうして私を誘ったの?」

「だってぇ、他の男はなんかヒョロヒョロしているし。それになんか私が英語を喋れるってだけで、みんなねちっこい目で見てくるんですよねー。いいよなあ、お前は帰国子女って。あと、女のくせに出しゃばりやがって、って声もチラリと聞いたこともあります。だからちょっと、同性の先輩の友達が欲しくって」

聞けばどうやら、研修が始まってから、私と話す機会が来ないか、伺っていたらしい。そして今日、ちょうど同じグループになったので、これを機に私と仲良くなろうと思ったようだ。

「で、どこに生まれたの? ユカさんは」

「カリフォルニアです。高校までずっと向こうで。その後、こっちに来ました」

じゃあ、もう完璧なバイリンガルだ。やはり、すごく羨ましい。

「どう? 仕事は。もう慣れてきた?」

「いや、まだ全然です。っていうか、もう辞めよっかなあーって」

「えっ! も、もう?」

またコーヒーを吹きそうになった。そう、だってまだ、入社して数ヶ月しか経っていないじゃない。

「だってぇ・・・英語の意味が分かんないんですもん」

「はあ?」

「だって、聞いたことないですよ、『to不定詞』とか『動名詞』とか。意味、全然分かんないです(笑)」

「・・・」

一瞬戸惑ったが、私はすぐにユカさんの言っていることが理解できた。そう、彼女は英語を第二外国語として学んだわけではないのだ。だから、文法用語を知らなくて当然だ。それは私が日本語がペラペラだけど、日本語の文法用語をほぼ知らないのと一緒だ。

そして、ちょうどその時だ。バイトが終わった葵ちゃんが「終わりましたぁ」と、席にやってきた。学生服姿だと、グッと幼く見える。

葵ちゃんが「何について話していたんですか?」と聞いてきたので、私が簡単に説明すると、

「あ、それはわかります。『話せる』と『教えられる』は、全く別なんですよね」

さすが葵ちゃんだ、よく分かっている。きっと、留学生のお世話をしていると、そういう経験もするのだろう。

「だから先輩。本当にダメなんですよ、日本の英語教育って! そんな面倒くさい文法ばかりやっちゃって。要らないんですよね、そんなの全部」

その言い方に、少しイラッときた。そう、それでは私たちがいつも教えている英語を、全面否定しているように聞こえるではないか。

「日本の英語の教科書ってもう、全然ダメです。何ていうか、堅っ苦しくて」

「堅っ苦しい?」

「そう。だって、『want to』とか『be going to』で習うじゃないですか? でも、ネイティブだったら違いますよ。『wannna』や『gonnna』って、省略して使っているんです。だから、教えていて、子供たちが可哀想だなあって」

「want to」や「be going to」を教えていて可哀想・・・この子は、そんなことを思うのか。今までに一度も、考えたこともなかった。

「だから私、授業中に『wanna』や『gonna』を教えてやったんです。これが実際に現地で使われている英語だよー、って。そうしたら、大喜びして」

その気持ちは分からなくもない。そう、子供は少し脱線して教えてもらった方が、喜ぶものだ。

「そうしたらですよ、その子がテストでそれを書いて、バツを食らっちゃったんです」

「えっ!」

でも、そりゃあ、バツになるでしょう。

「で、保護者がそれを知って、先週塾に乗り込んできたんですよー。誰がこんな教え方をしたんだー、って」

それはそうなって当然だ。相当揉めたに違いない。塾長の責任問題にもなる。

「そうしたらうちの塾長、反論するどころか、『社員の不手際で、申し訳ございません』って、保護者の前で、土下座までしちゃったんです(笑)」

「えっ! ど、土下座? そこまでしたの?」

「はい。もう、呆れちゃいますよねー(笑)だって、今の英語教育って、『将来話せるようになる』が目標じゃないですかー。だったら、ネイティブが生で使っている表現を、現場に取り入れていけばいいでしょー? それなのにそれは認めないで、バツにするんですよ、バツ。呆れちゃいますよね。だって全然、間違ってないじゃないですかー」

そ、それは、そうかもしれないけど、もしも私が学校の先生だったら、やはりバツにするだろう。なぜなら試験には、学校で習った「文法的に正しいもの」を書かないといけないからだ。

「一番情けないのは、うちの塾長ですよ。めちゃくちゃカッコ悪くて。私の意見とか全く聞いてくれなくて、ただ謝るだけだったんです。私に代わってくれれば、いくらだって反論できるのに。それなのに、『お前はこの件に口を挟むな、面倒なことになるから』って」

そりゃそうだろう。ユカさんの主張は、教育の現場には全く通用しない。

「それから塾長、私をその子の担当から外して、『もう二度とカジュアルな表現を教えるな、教科書通りにやれ』って言ったんです。でもそれって、私を雇った意味、あります?(笑)」

「・・・」

モヤモヤとした。確かにユカさんの気持ちも分からなくはない。ただ、学校は「正しい文法を教える場所」なのだ。そして、塾はその学校のテストで、結果を出させるための場所だ。だから、崩したものを教えてはいけない。

しかし、実際に使われている、そしてユカさんが使ってきた英語は、教科書英語とは全く違って、もっともっと砕けているのだ。そして、それを教えようとすると咎められ、かつ自分が学んできたことのない文法用語を使って、英語を説明していかないといけない。

きっとこの子はもう、英語の教え方に息苦しさを感じて、今の職場に嫌気が差し始めているに違いない。いや、職場というよりかは、「日本の英語教育」に、だ。

「私、採用される時に、人事担当の人から『これからの英語教育は話せるようにさせなきゃダメだ。だから、うちにはあなたみたいな人材が必要なんだ』って、言われたんです。それなのに、結局塾で子供にやらせるのって、今まで通りの英語教育って、・・・それって何か、おかしくありませんか?(笑)」

おかしい。おかしいけど、学校の先生も、塾長の指示も、決して間違ってはいないのだ。ただ、何なんだろう、この現象は。

ふとその時、私は思ったのだが、結局日本人は「話せるようにさせる」などと、大層な目標を掲げながらも、結局は今までやってきたものを、何一つ崩したくないのだ。

パッケージだけ変えて、中身は結局そのまま。そしてたとえ結果が出なくても、誰も責任を取らない。そうなると、被害を受け続けるのは、結局は子供たちだ。

「もう、ハッキリ言って、あんな教え方や教科書じゃ、絶対に無理です。子供たちは100年経ったって、英語を話せるようになんかなりません(笑)だって、馬鹿すぎるじゃないですか、『This is a pen.』とか。誰に言うんですか、そんなもの」

ナメられている。素直にそう思った。ただ、確かにそれで育った私たちは、英語を話せるようにならなかったのだ。そして、それを教えている私を含め、ほぼ全社員、英語が話せないのだ。先ほどの英会話研修でもみんなボロボロだったのが、その証拠だ。ユカちゃんがこの教育をバカにするのも、仕方がないことなのかもしれない。

「だから私、塾でサークルみたいなのを作っていこうかなって、考えているんです」

「サークル?」

「はい。アルバイトの大学生たちを集めて、『ネイティブが使うフレーズ集』みたいなのを作って、それを授業中、生徒に渡していくんです。ほら、塾には『聖典』がありますよね? あれを見て私、パッと閃いちゃったんです、自分も『ネイティブ表現の聖典』を作ろうって。それこそもう、現地で使われている『活きた表現集』みたいな。スラングとか、使えるフレーズとかいっぱい詰め込んだ。どうです? Good ideaだと思いませんか?」

「そ・・・それは、」

「だって、将来話せるようにさせるのが目標なんですよね? だったら、ネイティブが生で使っている表現を一個ずつ覚えていくのが、一番の近道じゃないですか? ネイティブはあんな教科書英語みたいな感じで話していませんよ? もっと『fuck』とか『shit』とか、そういう言葉を日々使っているんです」

「でっ、でも!」

「子供だってすっごい好きなんですよ、そういうの。文法とかよりも、全然食いつきが良くて(笑)昨日も英語が苦手な子に『fuck』の使い方を教えたら、『英語が初めて楽しい、って思えました』って言ってくれたんですー」

モヤモヤした。そう、恐らくこの子は、文法を教えるのが嫌で、そういう言葉を授業中に教えたいのだ。楽だし、そしてそちらの方が、子供ウケもいいのだ。

「私、日本の英語教育って、『英語嫌い』の子を沢山作っていると思うんですよー。だって、嫌じゃないですか、小難しい文法とか。もっともっとカジュアルな表現を覚えていった方が、よっぽど話せるようになりますし、絶対あの子たちのためにもなりますよ」

「・・・」

「でもまだ、うちの塾長には黙っておいて下さいね。まだ行動に移していないんで。ただ、誰かにこのこと、事前に相談してみたくって。今ちょっと、社内にも味方が欲しいんですよ。ね、先輩もそう思いますよね? 教科書英語ばっかりやっていないで、もっとネイティブが使っている、生きた表現を取り入れるべきだ、って」

ユカさんが言っていることは、よく分かる。そしてよく、「日本の英語教育は硬っ苦しい」という声も聞く。しかし、それがなかったから、英語が話せなくなっているわけではない、と私は思うのだ。

そして、だ。テストにはそういった表現は全く出てこない。文法問題ばかりの、ガチガチの受験英語だ。である以上、やはり塾ではそういったものに特化するのがセオリーだ。

「一体、何をしたいんですかねー、日本の英語教育って。話せるようにさせたいって、本気で考えているんでしょうか? もしも学校がそこまで本気に考えていないんだったら、結局、私たち民間がネイティブ表現を覚えていくしかないでしょう? そして、そのために私、ここの塾に入社することにしたんですけど(笑)」

何とも言い返せない。そして何か反論しようと思っても、肝心の私自身が英語を話せないのだ。何を言ったところで、説得力がない。

そしてユカさんは、葵ちゃんに向かって、「ね? あなたもそう思うでしょ? もっとカジュアルな表現を教えて欲しいと思うよね?」と、意見を求めた。そうか、だからユカさんは葵ちゃんを誘ったのだ。自分の意見を、私の前で、現役の高校生に肯定されたかったのだ。

「あの・・・カジュアルって、例えばどんな表現ですか?」

「そうね、例えば、『How are you?』じゃなくて、『What’s up?』とか『How’s it going?』とか。あと別れ際は『See you soon.』じゃなくて、『I’ll catch you later.』とか。ね? 習わないでしょ、学校でこんなの。これ、ネイティブなら、普通に使っている表現なのよね。他にも聞きたい?」

そう言って、ユカさんは得意げな顔をした。うん、確かにそんな表現は教えていない。

すると、葵ちゃんは眉を顰めつつ、

「あの・・・どうしてですか?」

「は?」

「どうしてそんなのを覚えないといけないんですか?」

「そ、そんなの?」

「はい。大事なんですか、そんなの

「! ・・・」

ちょ、ちょ、ちょっとちょっと葵ちゃん。どうしたの、一体。

「だって『How are you?』も大事じゃないんですか? 普通に使っているんじゃないですか? もう、使われていない表現なんですか? 私、英語圏の留学生ともよく学校で話していますけど、よく聞かれますよ? 『How are you?』って。あれって、全部死語なんですか?」

「そ・・・それは、もちろん、死語じゃないけど、、、ほ、ほら、現地でカジュアルで使われている表現もあるじゃない?」

「もちろんあって当然ですけど、それを覚えたら、英語は話せるようになるんですか? そんなのが、今の日本人に足りなかったんですか?」

「そ、そんなのってあなた・・・さっきから何なの、一体?」

「いや、私、そういうのを覚えていても、逆にそれしか話せるようにならないんじゃないのかな、って思って。ちなみにどこまで使えるんですか、その表現? それを知っていたら、その後も会話が続けられるんですか?」

「な! ・・・」

「そりゃ、現地だけで使われている言葉も、沢山あって当然ですよ。言葉というものは、使われていく中で、どんどん崩れていくものですから。ただ、そんなものよりも、その後の方が大事なんじゃないですか? 言えるんですか、今置かれている状況とか。そういう説明が、そのネイティブが使うカジュアルな表現を覚えていったら、スラスラと言えるようになっていくんですか? どういう原理なんですか、それ?」

「! ・・・」

あまりにも険悪になりそうなので、慌てて私は中に割って入った。すると葵ちゃんは表情を崩して、「あ、すみません、つい」と謝ってから、

「ただ、私は思うんですけど、『ネイティブがよく使う表現』とかってありますけど、そんなに大事じゃないと思っていて」

「どっ、どうしてそう思うわけ?」

ユカさんが挑むような口調で尋ねると、

「だって、英語ってもう、ネイティブだけのものじゃないですから

「は?」

「英語はもちろん、英語圏で育まれてきましたけど、今はもう、役割が違うんです。『世界中の人とコミュニケーションが取れるツール』になりました。ネイティブだけが使っている表現が、全世界に通用するわけじゃないんです。この時代、スタンダードな英語表現で、世界中の人と意思疎通を図れることが求められているんです。それなのに、ネイティブがよく使う表現を優先して、スタンダードな表現をおざなりにするのは、英語の指導者としては、ちょっとどうなのかなあって」

「! ・・・」

「学校で習う文法ってめちゃくちゃ大事じゃないですか? 『to不定詞』が使えるようになったら、『理由』を付け足すことができるんですよ? 『I’ m here to work.』『I’m learning English to communicate with a lot of  people from all over the world.』ほら? 色々説明できるじゃないですか? こっちを学んだ方が、そんな『How’s it going?』や『I’ll catch you later.』よりも、遥かに汎用性が高いと思いませんか?」

「・・・」

まるで有紀くんの女の子版みたいだ、と素直にそう思った。

「確かに『This is a pen.』って文は、人には言わないと思いますよ。でも、使うじゃないですか、人を紹介するときに『This i s Saori. She is my sister.』とか。『This is a pen.』の応用ですよね? この文法を応用させられれば、色んなことが英語で表現できるようになるはずなんです。加藤さんは文法を教えながら、そういう可能性を、子供たちに見せられていますか? 見させていないなら、『書かれた文章を訳せるだけの人間』になってしまいますよ?」

「な・・・何なの、あなた、偉そうに? そ、そんなあなたは、英語が話せるわけ? 当然よね、そこまで言うんだったら?」

「話せますよ、当然じゃないですか。だってもう、5年も学んでいるんですよ?」

「! ・・・」

その言葉が突き刺さったのは、もしかして私の方だったかもしれない。そう、私は英語を学び始めて10年以上も経っているのに、話せないのだ。

「もちろん私も『以前の学び方』だったら、話せないままだったと思いますけど、桜木先生と出会って、やり方を変えられたから、今こうして話者になっている、と胸を張って言えるんです」

まっ、また出た、桜木先生だ。一体、どんな方だったんだろう。

「やり方を変えたって・・・何のことよ?」

「つまり、加藤さんが学んできたような、やり方ですよ」

「わ、私が学んできたような、やり方?」

「はい。『英語を母国語のようにして学ぶ』、ということです」

「母国語のようにして学ぶ?」

「はい、つまり音とイメージです」

「え?」

「加藤さんは、そうやって学んだんでしょう? 覚えていませんか?」

「・・・」

ユカさんはポカンとしていた。恐らく、それについて、深く考えたこともなかったのだろう。しかし、それは無理もない。私だって、日本語はペラペラだが、どうやって習得できたのか、説明できないからだ。

「自覚がないわけですよね? じゃあ、この問題の『本質』に気づいてないんじゃないですか? 日本人が英語を話せないのは、そんなカジュアルな表現を丸暗記すれば解決するような、単純なお話じゃないんですよ?

「あ・・・あなた、さっきから何なの? なんか全部分かっているような口調で。それで、私よりも英語が上手いわけ?」

「いや、ド下手ですよ。だって、年季が違いますから。私はまだ17歳で、日本で生まれ育ったんですから。向こうで生まれ育ち、英語で長年生きてきたあなたとは、バックグラウンドが違いすぎます。でも、だからと言って、『英語の上手さ』と『教え方の上手さ』をごっちゃにしないでください。私の担任だった桜木先生の方が、加藤さんよりも100倍英語の教え方が上手いですよ。もちろん、加藤さんの方が、桜木先生よりも英語は100倍上手いとは思いますけど」

「! ・・・」

な、何なんだろう、この自信は。そして益々気になる、「桜木先生の教え方」というものが。

「授業中、イメージはちゃんと使っているんですか? そこまで言うんだったら、単語帳だけを渡して、それを丸暗記してこい、みたいな教え方はしていませんよね?」

「イメージ?」

ユカさんは、キョトンとしていた。そして、授業でも単語帳を覚えさせているはずだ。なぜなら、そういうマニュアルになっているからだ。

「ほら、やっぱりそうしているんでしょう?」

「そ・・・そ、そりゃあ、そういう決まりだから」

「あれ? そこの決まりは守るのに、『教科書通りに教えよう』って決まりは破るんですか? それって、都合が良すぎませんか?」

「! ・・・」

何て痛いところを、突いてくるんだろう。この子、手強すぎる。

「じゃあ聞きますけど、加藤さんはアメリカで育った時、お母さんやお父さんから、英単語帳を渡されて、それを日本語訳で覚えるような勉強をしてきたんですか?」

「そ・・・そ、そりゃ、していないわよ、そんなこと。そ、そもそも単語帳なんて、向こうには売っていないんだから」

「でも私たち日本人は全員学校で、英単語を覚えるときは、単語帳で日本語訳を覚えてこい、ってなっているんですよ? 英語教育の批判をするんだったら、本来、そっちの方じゃないですか? そこは批判しないんですか?」

「で、で、でも・・・単語帳がなかったら、単語は覚えられないじゃないの?」

「いや、でも単語帳を使われなかったんですよね、加藤さんは?」

「だから、そ、それはそうだけど、・・・でもそりゃあ私は、向こうで生まれ育ったんだから、別に要らないでしょう?」

「じゃあ、あるんじゃないんですか、『単語帳を使わなくても、単語を覚える道』が。加藤さんは、それについて、深く考えたことがあるんですか?」

「・・・」

もちろん、ないと思う。考えていれば、すぐに答えられるからだ。

しかし、私もユカさんと同じように、すぐに答えることはできない。私だって、有紀さんたちに出会わなければ、何の疑問もなく、今まで通り、子供たちに英語を教えていただろう。

「すみません、私には加藤さんに、『話者にさせるための哲学』があるとは、思えません」

「!・・・話者にさせる、て、哲学?」

「仮にフレーズを覚えさせるにしろ、それをどうやって覚えさせていくつもりなんですか? 長い文章も、全部覚えさせていくんですか? 『昨日、お母さんと一緒にスーパーに行ったら、卵が売り切れだった』っていう文も、全部丸暗記させるんですか? そしてそれにも、カジュアルなネイティブ表現があるんですか? フレーズ集に載せるつもりなんですか? どれだけ生徒を苦しませるつもりなんですか?

「! ・・・くっ、苦しませる?」

「つまりそれって、『苦しめている自覚がない』ってことですよね?」

「・・・」

そんな、苦しませているなんて、考えたこともなかったのだろう。いや、しかし、子供たちは単語一つ覚えるのにも苦労しているのだ。そんな、長い文章を覚えるなんて、できるはずがない。そう、それを与えるのは、「苦痛」なのだ。

「・・・あっ、あなたね! 深く考えすぎなのよ。言葉なんてね、ネイティブが言っていることをただ真似していけばいいの。単純に、考えなさいよ!」

顔が真っ赤で反論するユカさんと対照的に、葵ちゃんは冷静な表情を何一つ崩さない。益々有紀さんと似ている。

「私だってね、ただ親が周りが言っていることを真似してきただけなの! だから、話せるようになったの! じゃあ、日本人だって同じように、私やネイティブが言っていることを真似していけばいいのよ。あんな小難しい文法をやっているんだったら」

「つまり、加藤さんの中では、『話者になる』イコール『ネイティブフレーズを覚える』ってことなんですよね?」

「そっ、そうよ! だって言葉って、『フレーズの集まり』でしょう?」

「じゃあ、そのための教材は? 何を使えばいいんですか?」

「そんなの、海外ドラマでも見ればいいのよ。フレンズとかゴシップガールとか、日本でもDVDになっているじゃない? だから、英語の授業なんてさせないで、ずっとそれを見せておけばいいのよ」

「じゃあ、聞き取れない場合は、どうしたらいいんですか?」

「そりゃあ、慣れていないからでしょ? だから、まずは沢山見て、慣れるべきよ」

「どれくらいですか? 一日どれくらいで、どれくらいの期間ですか?」

「そ・・・そりゃ、分からないわよ。人それぞれじゃない?」

「じゃあ、それで失敗した人は?」

「失敗? それは、本人の責任でしょ? 諦めたんだから。その程度の実力なのよ」

カチンときた。そう、私も昔、海外ドラマ学習に挫折した人間なのだ。それが、私の能力不足だったとでもいうのだろうか? だとしたら、こんなに悔しいことはない。いや、でも私だけではない。ほとんどの人が失敗している以上、日本人はみんな「実力不足」ということになる。

「あとほら、書店に行けば、ネイティブが使うフレーズ集なんていっぱい売っているじゃない? あれを沢山覚えていけばいいのよ、使いもしない『This is a pen.』みたいな文章を覚えているんだったらね」

「じゃあ、それも覚えられない場合は?」

「だからそれは本人の努力不足よ。それだけの気持ちしかなかっただけ」

葵ちゃんが小さく、「・・・ひどい」と言ったのを、私は聞き逃さなかった。そう、それだとあまりにも日本人が可哀想だ。

「っていうか、そもそも何から何まで変なの、日本人の英語教育って。発音だって、もうボッロボロじゃない? あんなの、ネイティブに通用すると思う? 笑っちゃうわよ。レストランに行って、『water』一つまともに頼めないわ。だから、そんな小難しい文法をやっているんだったら、『apple』や『girl』の発音をずっとやっていた方が、ずっとマシ。それができないんだったら、英語なんて諦めた方がいいわよ。翻訳機を使って会話してなさい」

私は思わず、グッと拳を握った。悔しい。しかし、同時に何も反論できないのは、私自身、発音に自信がないからだ。そう、ネイティブや帰国子女に発音の話をされたら、全く反論ができない。

しかし、その時だ。

「Hi, Aoi. I’m sorry to keep you waiting!」

ハッと振り返ると、そこには一人の外国人の女の子が、手を振りながら立っていた。

「No proplem. I didn’t wait long. How are you?」

「I’m good. How about you?」

「I’m good too.」

そ、そうか、葵ちゃんがここで待ち合わせていたのは、留学生のお友達だったのか。

しかし、それにしてもやはり葵ちゃんの英語は流暢だ。もちろん、発音もいい。

「This is Lucy. She’s from Australia.」

そうやって葵ちゃんはルーシーと呼ばれた女の子を紹介してから、私に「すみません、もう行かないといけなくて」と、申し訳なさそうに言った。

一方、ユカさんは呆気に取られたような顔をしていた。もしかして、葵ちゃんがここまで普通に英語が喋れるとは、思ってもいなかったのだろう。

そのため、実際に目の前でその英語を聞き、かつ外国人の友達までできていることに、後ろめたさも感じたはずだ。

葵ちゃんは自分のバッグを持って、すっくと立ち上がった。そしてふと私は、とても心細くなった。そう、今、このユカさんと張り合えるとしたら、それは私ではなく、葵ちゃんしかいないからだ。葵ちゃんが出た後、私はユカさんと何を話せばいいのだろう。

すると、去り際だ。葵ちゃんはユカさんの方に、くるりと向き直って、

「あの、加藤さん」

ユカさんが動揺しつつ、「え? 何?」と返した。

「そのぉ・・・失礼を承知で、言わせて下さい」

「な、何を?」

「今の職種、全然合っていないと思うんで、すぐにでも転職された方がいいと思いますよ。加藤さんのためにも、もちろん子供たちのためにも」

「なっ! 何を?」

「だって、今の英語教育に不満だらけなんですよね? いい要素が何も見つからないんでしょう? だったら、教わる方だって可哀想ですよ。そしてそこにネイティブしか知らないようなフレーズを教えて、テストで減点食らわせているんですよね? そんなの、迷惑以外の何物でもないじゃないですか」

「めっ、迷惑!?」

「ネイティブ英語がそんなに偉いんですか? それを丸暗記していけば、英語は話せるようになるんですか? それをやったら、逆に挫折者ばっかり産むことになりませんか?」

「でっ、でも、現に今の英語教育で話せるようになっていないじゃないの!」

「だから、話せるようになった、と言っているじゃないか、この私が。一律で語るんじゃない」

「! ・・・」

「よくできていますよ、学校の英語って。あれさえうまく応用できれば、自分が言いたいことは、何不自由なく伝えられるようになるはずでよす。もちろん、改善しないといけないところは沢山ありますけど」

「・・・」

「そしてその後で、ネイティブアメリカンと現地並の会話を楽しみたい、というなら、その上でカジュアルな表現を足していけばいいでしょう? それなのに、基本的な文法も教えないで、『カジュアルだから、ネイティブがいつも使っているから』って、その場限りしか使えない、汎用性の少ない表現を丸暗記させて、学校英語や日本人英語の揚げ足取りばっかして、勉強も練習も何もさせず、おもしろおかしく手軽に話者にさせよう、って甘く考えているんだったら、英語は教えない方がいい。今すぐ辞めて、違う職を探した方がいい」

「なっ・・・何を!」

「少なくとも桜木先生は、そんなことを何一つ教えなかった。ちゃんとイメージを使いながら、関係代名詞の使い方も必死に、分かりやすく、丁寧に教えてくれた。色んな場面で使えることを教えてくれた。そして、ちゃんと家で口頭練習もするように、指示だってしっかり出していた。あなたはそれを、・・・それを、授業でちゃんと子供に伝えられているのか?」

「な、! ・・・な、何なの、あなた! そして、さっきから何? その言葉遣いは?」

「あれ? 言葉遣いに敏感なんですか? じゃあ、いいんですか? 授業中に子供たちに『fuck』や『shit』なんか教えて。それって、もっと汚い響きなんじゃないですか? それをカジュアルだからって、相手がどう受け止めるかも知らないで、軽はずみに教えていてもいいんですか? 場面を間違えて使っちゃうかもしれませんよ?」

「! ・・・」

「あんまり馬鹿にするなよ、日本人の英語を。うちらの苦しみも知らないくせに、言葉の上っ面だけ見て、英語教育を語るんじゃない。顔を洗って、出直してこい」

「! ・・・」

まるで稲妻が突き抜けたように、葵ちゃんの言葉が全身を駆け巡った。な、何なの、この子。そして、何てかっこいいの。

ユカさんと同様、あんぐりと口を開けたままの私に、葵ちゃんはくるりと笑顔を向け、

「多分、あの二人がここにいたら、こう言っていたと思いますよ」

「! ・・・」

「あの二人」とはきっと、吉原さんと有紀さんのことだろう。そう、この子はきっと、全てを見通しているに違いない。

「じゃあ。See you againです!」

そう言って、葵ちゃんはルーシーと一緒に、颯爽と店の外に出て行った。その足取りがとても軽やかで、そして激しい嫉妬に襲われた。

そう、あの子はまだ、若い。何でもできる。何にだってなれる。これから道をつけていくのだ。そして、言葉の壁が何一つない。日本でなくても、どこでだって生きていける。

同じほど努力をしたのに、学ぶ方向性だけで、ここまで違ってくるのか。なんて、なんて「残酷な話」なんだろう。

そして思わず私は、ガタリと立ち上がった。まるで足が勝手に立ち上がった気がした。そう、やっぱり行かないと。そしてまた、話さないと。「あの二人」と。

店内を出る時、後ろからユカさんの「先輩!」と呼ぶ声が聞こえてきたが、アブラゼミの音と一緒に掻き消えた。そう、今はあなたに構っている時間は、一分もないの。ゴメンね、後輩。

(次回「6、タイトル未定に続く)

画像素材:PIXTA

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