英語を日本語に切り替えず、英語のまま理解する
金沢優、3年ぶりの新作「もしなる2」連載中!

「もしなる2」第2部5章.言葉の魔法

5、言葉の魔法

「何が言いたいんだ? 『言葉と一緒に生きてきた』とは?」

「つまり、言葉を使って、『生活してきた』形跡があるんです。勉強したのではなくて。だから、『音』が生きている」

ふと私は、先ほど有紀さんが言った言葉を思い出した。

ー「結局、言葉とは文化を吸収しながら、育んでいくものです。だから、時間も絶対に掛かります。いや、本来、掛けるべきものなんです。数ヶ月で習得できるような、ペラッペラなものじゃないんです」

そのいい例が、モンゴル人力士たちだ。そう、彼らは誰もが流暢に日本語を話せるようになっている。

しかし、それはもちろん、隙間時間の勉強で実ったわけではないだろう。そして、便利なフレーズなどを覚えただけでもないはずだ。もっと何というか、、、揺るぎない。

「そもそもながら、英語が話せる人は、一言フレーズ集などで学んでいないから、話者になれたんじゃないでしょうか?」

「えっ?」

「言語習得の裏側に、『何か』があったはずですよ。例えば向こうに住んでいたり、ネイティブと一緒に暮らしていたり、それに似た環境があったり。もしくは、自分で苦労して作り上げたか。見るべきところはフレーズではなく、本来、『そこ』なんです」

有紀さんはそう言って、私にフレーズ集を渡した。そして、私は本の背表紙にあった筆者の経歴を見た。確かにその人は、アメリカに在住20年、と書かれてあった。

気になった私は、その他のフレーズ集も見た。確かに全員向こうに住んでいたり、ネイティブと暮らしていたり、一緒に一定時間を過ごしている、「生活の形跡」があった。

「英語が流暢だからって、上手く教えられるとは限りませんからね。『話者』と『教えるスキル』は、分けて考えたほうがいいです」

「・・・どういうことですか?」

「つまり、『英語が流暢に話せるからって、上手く教えられるとは限らない』んです。『話せる』と『教える』は全くの別物です。ただ、それは僕らだって、同じですよ。僕たちは日本語が流暢ですが、外国人に日本語を上手に教えられないでしょう? なぜなら僕たちは、日本語の組み立て方など知りませんからね。『外から眺めた』わけじゃないんです。生きているうちに、無意識に身に付けた。それが証拠に、『てにをは』の説明なんて、僕たちはできないですよね?」

有紀さんはあえて「無意識」というところを、強調したような気がした。

「無意識に身につけられたものは、人には教えられないんですよ。なぜなら、そうでない人は、意識的に覚えないといけないからです」

「日本人はみんなこう考えるんです。ネイティブと話していたら、いつか無意識にペラペラになれる、と」

「・・・なれないのか?」

「無理ですよ。何故なら僕たちは、今までずっと日本語で育ってきたわけですからね。彼らと『頭の中』が違うんです。思春期を迎える頃には、もう『日本語の樹』が立ってしまっている。だから全部、『発着点が日本語』になってしまう。これがもしももっと幼い頃から、ずっとネイティブと一緒に住んでいたら、事態は違っていたでしょうけど、正直なところ、大人になったら、もう遅いんです。だから、無意識はほぼ不可能に近い。意識的に入れないと。そしてそれが、中高でやってきた、『英文法』などであったはずなんです」

正直なところ、今まで何も考えずに学んできた。そう、ただ「与えられたもの」を覚えて、そしてテストのために解いてきただけだった。そしてそれは私に限らず、日本人はみんなそうだろう。

ふと私は、有紀さんの『日本語の樹』という言葉から、先ほど吉原さんが松尾さんに言ったセリフを思い返した。

「お前、今まで何にも育んでこなかったな。英語という『言葉』を。一本しか立ってないぞ、『言葉の樹』が」

恐らく二人は、同じことを言っているに違いない。

「つまり、僕たちは学校で、英語ネイティブはどう文を組み立てているのか、その法則性を学んできたんです。そしてそこから、彼らのように理解する、そして組み立てられるようにすることが本来、『話者』への道なんですが、みんな『英会話』になった途端、別のことをしているんです」

「別のこと、ですか?」

「はい。文法知識とは無関係に、便利なフレーズを丸暗記しているじゃないですか。そのことですよ」

思わず「あっ」と声が出た。

「今まで学校で学んできた『英語』と『英会話』の乖離が、ここで起きています。二つが繋がっていません」

そうだ、それは私もずっと思ってきたことだった。そう、本来、「中学英語で話せるはず」なのに、英会話の勉強は「中学で習っていないフレーズ暗記」になっているからだ。

「彼らは文の組み立て方を教えられませんよ。それが証拠に、ネイティブから文法を教わったことはないでしょう?」

確かにその通りだ。今まで習ってきた文法は、全部日本人の先生からだ。読んできた文法書も、全て日本人が書いている。そして英会話になった途端、指導は全てネイティブに切り替わっている。

何だか全身の細胞がゾワゾワと騒いできたような気がした。何なんだろう、この違和感は。

「でも、彼らは『簡単なフレーズ』なら、教えられるんです」

「え?」

「だって文法知識とか要らないじゃないですか。例えば日本語で『草が生える』って言葉がありますよね? この意味は『面白い』って意味なんだよ、は僕たちでも簡単に教えられるでしょう?」

教えられる。簡単だ。

「『学校で習っていないフレーズだよ』と言えば、日本人はみんな、今まで習ってきたものを放り投げて、そこに流れちゃうんです。それは日本語で言うと、『あざす』とか『イケてる』みたいなものですね。『今までの自分の英語に足りなかったのは、そういうものだ。現地で使われているフレーズだ。あとはそれさえ覚えていけば、ネイティブのように話せるようになる』と考える。だって、今まで学校で習ってきたものは、全然『話せる』に繋がらなかったんですから」

覚えてきた。英会話になったら、今まで勉強してきたものはそっちのけで、そういったフレーズを。

「本当にもったいないんですよ。折角、中高とあんなに必死に努力してきたのに、その法則性は全部『テスト』や『文章を訳す』ためだけに使われ、『話す』に活かせられない。そして『英会話』になった途端、今までに習っていないフレーズを丸暗記している」

「ただ、仮にそれらを覚えたとしても、その場面になった時に、それがポコンと出るだけですよ。だからその後の文章が全然続きませんし、正直なところ、それらは『くだけた表現』ですからね。たとえば、年上に向かって『あざす』って言ったら、ムッとされるでしょう?」

絶対、そうだ。

「僕たちはどこでどう『あざす』や『イケてる』という言葉を使っているのか、見てきているので、使いどころが分かっているんです。場面と一緒に、言葉を育んできている。だから同じように、現地で使われているフレーズも、どこでどう使っているのかを見ないと、覚えたところで怖くて使えないんです。場面を見ずに覚えたら、『やり直しの作業』だって絶対に入ってきます。使うのなら、何パターンも見ないと」

そう言えば、少し昔、ある有名人が使った英語が「場違い」だと報道が出て、みんなから叩かれていたっけ。もしかしてそれは、そういうことかもしれない。

「じゃあ、フレーズ暗記が違うなら、どうすればいいって言うんだ、有紀は?」

「例えば、野球が上手い人がいたとしましょう。投げる、打つ、走る、守る。全てのスキルに長けています。さて、この場合、松尾さんはこの人はどうして野球が上手いと思いますか? メンタルが強いからなのか、沢山野球理論を勉強してきたからなのか、沢山観戦してきたからなのか、それとも元々運動神経がいいからなのか。若松さんはどう思います?」

「え・・・うーんと、いや、どれも違うと思います」

そう、強いて言うなら、最後の運動神経がある、が一番近いと思う。ただ、たとえ運動神経が良くても、野球は上手くならない。

「そう、恐らくこう思いますよね、この人、野球を相当『練習してきたんだな』って」

うん、それだ。きっとそう思う。どれだけ運動神経があっても、練習をしなければ上手くはならないだろう。

「結局、英語が流暢に話せる人はそれと同じで、今まで英語を年単位で『練習し続けた形跡』があるんですよ。僕たちがこうして流暢に話せるのは、今まで日本語を声に出して、『練習し続けてきた』からですよ? 日本語の大ベテランなんです」

それが先ほど、有紀さんが言っていた「言葉と一緒に生きる」ということか。

「じゃ・・・じゃあ、無理じゃないか、日本人が英語を話せるようになることなんて。だって、私たちは英語を話す環境などないぞ」

「だから、誰も話せるようになっていないんじゃないですか」

ピシャリと返され、松尾さんは「うっ」とうめいた。確かにその通りだ。

「そもそも無理な話なんです、日本にいながら英語を話せるようになることなんて」

「えっ!」

思わず、大きい声が出た。そ、そんな。仮にも英会話教室のトップがそんなことを公言してもいいのだろうか。そしてこの人は私たちだけでなく、誰にでもそう言っているはずだ。

「僕は嘘は言いたくないですからね。無駄に期待だけ抱かせて、教材を買わせ、コースを取らせ、失敗しても後は責任は持たない、消費者の努力不足だ、みたいなことはしたくないんです」

まるで私の気持ちを先回りするように、有紀さんはそう答えた。

「考えてもみて下さい。日本語が全くない環境で育っている子が、流暢に日本語を話せるようになったら、ビックリするでしょう?」

言われてみれば、その通りだ。なったら、怖い。

「先ほども言いましたが、言葉は文化と表裏一体のものです。だから、日本にいながら、英語が流暢に話せるようになる、というのは、『100%無理なこと』に挑戦しているという自覚を持ったほうがいいと思いますよ。それは、『グラウンドがないのに、甲子園を目指す』のと変わりません。そしてただでさえ、英語と日本語は、『言語間距離が遠い』んです。英語ネイティブがフランス語やスペイン語を覚えるのと、わけが違う」

言われて、ハッとなった。そう、それは先ほどのファイルの中にあった、「英語と日本語の距離感」のグラフのことだろう。そう、「英語と日本語」の言語の相性は「最悪」なのだ。

「例えばこのフレーズ集を一冊覚えたとしましょう。しかしあくまでそれは、『その程度のもの』ですよ。英語が完成するわけでもありません。話者になるということは、一冊で完成するような『ペラッペラなもの』じゃない。だから、そこをゴールにしてしまえば、自分の描いていた到達点とは程遠いものになるはずですよ。ましてや、そんな勉強を今まで中高で一つもしてきていなかったんですからね。今までの努力も全部、水の泡になりかねません」

「で、でも・・・水の泡にはなっていないぞ? そのおかげで、英文を読めるようになったんだ」

「それで満足なんですか、松尾さんは?」

松尾さんは「うっ」とまた、小さくうめいた。

「今の時代、テキスト文字をタイプすれば、すぐに翻訳できますよね? つまり、残念ながらその作業はもう、機械にとって代わられてきたんです。もちろん、だからと言って翻訳家さんの仕事がなくなるとは思いませんよ。それは両言語のバランス感覚を使う、また別の『特殊スキル』です」

「な、なら、英語を話すのも一緒じゃないか、翻訳機が発達してきているんだぞ?」

「違いますよ、『読む』のと『話す』は、全然」

「どこが違う?」

「音です」

「音?」

「話すのは音、つまり、『声のやりとり』です。しかし、読む行為は声はいりません。頭の中で『英語→日本語』に変換できれば、それでいい話です。『apple』も『あっぷる』でいいんです。いや、極端な話、『どっぷれ』でも『がっぴら』でもいい。文字を訳すだけなら、音は要らないでしょう? それが証拠に、『音を間違えた和製英語』が国内に溢れているじゃないですか。『vitamin』もビタミン、『virus』もウイルスで、日本では何ら問題がないじゃないでしょう? これは日本人が『音』よりも、『文字』を重視する民族だからです」

確かにそれは、有名な和製英語である。そう、ビタミンもウイルスも、ネイティブには通用しない。

「つまり、日本で学ぶ英語は、発音も発声練習も要らないんです。全部『お勉強』で済んでしまう。受験勉強だって、『声に出す練習』なんてさせていませんよね?」

その通りだ。塾でも生徒に、発音はさせていない。たとえ発音が上手くても、テストには無関係だからだ。無駄なことはさせないし、生徒だってしない。

「しかし、『話す』は声が必要なんです。大前提として、口を動かさないといけません。そして、会話である以上、『受け取る相手』だっています。自分一人で完結する『読む』作業と、この点も全然違います」

「それが何だ? 相手がいるから、何だ?」

だから、そこだけは機械に丸投げしちゃいけないんですよ。『話す』は自分も含め、二人以上の作業になりますからね。そして相手にちゃんと伝わるかどうか、どう響くかも想定して、『練習しておかないといけない』んです。だから『発音』はもちろん、『聞く作業』も同時並行で進めておかないといけません。加えて、『その言葉が実際に使われているかどうか』という視点も入ってきますよ」

今まで英語を学んできて、そんな発想をしたことがなかった。そう、ただ書いて英文を文法知識を使って、訳してきただけだった。音だって全部抜いてきた。そして、参考書に書かれてある表現が、実際に使われているかどうかなんて、1ミリたりとも考えなかった。

また、全身の細胞がゾワゾワと騒いできた気がした。そう、また、「何だか今まで、全然別のことをしてきた」ような不安が、私を襲ってきたからだ。

「つまり、『話す練習』とは、声に出して上手くしていくこと、どう伝わるかのニュアンスを考えること、が必要になってきます。だから、自ずと「年単位」の作業になってくるはずです。そして、『声に出す』というのは、『心を宿す』ということです」

「心を、宿す?」

「はい。言葉は文法的に正しいかどうか、内容さえ分かればそれでいい、のようなものではないと思うんです。なぜなら言葉は、『感情の産物』だからです」

「何? 感情の産物?」

「嬉しい気持ちがあるから『嬉しい』と口にし、『寂しい気持ち』があるから、『寂しい』と口にする。そういう感情を音に表現できるのが、言葉だと思います。それは特に、歌を聞くと、そう思います」

「歌?」

「機械音で奏でられた歌で、人は感動できると思いますか?」

松尾さんは言葉に詰まった。そして、それは私も同じだった。

「その人が歌うことで、響いてくるものがあるでしょう。その人がどう伝えたいか、どれだけ伝えたいか、その『気持ち』を自分自身の声で目一杯伝えられるのが、『言葉の強み』なんじゃないでしょうか? だから僕からすると、言葉は手や足のように、『生命の一部』なんです」

生命の一部? 言葉が?

「声を失った方は、きっとどんなに下手であっても、間違っていても、いつだって『自分の声』で語ったり、歌いたいと思っているはずですよ。自分の口から、気持ちをダイレクトに、そして沢山の人に届けられるから、言葉は素晴らしいんじゃないですか」

私はハッとなった。

「言葉なんかただのツールだ、内容さえ伝わればいい、機械に任せてもいいじゃん、なんて考えた途端、それは声を失った人にも失礼ですし、そういう発想をし続ける以上、人として分かり合えない気がしますけど。だから、どんなに翻訳機の性能が優れることになっても、苦労して言葉を手に入れた人や、手に入れようとしている人には、永久に敵わないはずですよ」

ふと、私は先ほどのカフェにいた、手話で話している方たちを思い出した。

もちろん私はあの方たちが、どうして話せなくなったのか、そのバックグラウンドは分からない。ただ、自ら好き好んで、その道を選んだわけではないはずだ。

しかし、その運命を背負った以上、彼らは必死に手を動かして、手話と一緒に「生きてきた」のだ。練習もしてきたはずだ。そう、私たちにとっての「声」が、彼らにとっては「手」なのだ。

私は有紀さんが言いたいことが、言葉以上に伝わってきたような気がした。そう、「生きる」とは、「使い続ける」ということなのだ。

「結局、『言葉』として機能させるのであれば、声に出して、育んでいかないといけないと思うんです。それこそ感情を込めながら、何年も掛けて。『言葉の話者』は、誰だってその過程を辿ってきているはずですよ。だから、生きている限り、使い続けている限り、段々上手くなる。体の器官を使って、少しずつ少しずつ。それこそ、野球やピアノみたいな感覚です。だから、英語を話せるようになるのであれば、勉強するんじゃなくて、声に出して練習していかないといけないんじゃないでしょうか。口と耳を使い続けて」

声に出して練習していく。そんな視点、今までの英語学習にあっただろうか。そう、英語は「何点取れるか、文法的に合っているか」だった。全部、ノートに書いて勉強してきた。

そして、そこで受験が終わり、そのまま私は英会話スクールに入会した。するとそこには、「英語を使い続けてきたネイティブ」がいた。

再び私は、教室の中の子供たちに、視線を向けた。

彼らは絵を見ながら、何度も何度も音声を聴き、それを真似て、英語を口にしている。そう、勉強している感じが全くしないのだ。私たちの塾の生徒のように、文法問題やスペルの書取りなど、誰もしていない。

「そもそも『英語が話せない』ということ自体、おかしな話なんです。口さえあれば、誰だって普通に、話せるんじゃないでしょうか。向こうの子は誰だって英語を話しているでしょう? そして、それは僕たちも同じで、『日本語が話せない』って言っている子なんて、どこにもいないのと一緒で」

「じゃ、じゃあ、日本人は英語が話せないんだ?」

「練習していないだけでしょう。だって、声を出させることなんて、授業で一つもしていないじゃないですか? だったら、出るわけもない。練習が、『ゼロ状態』なんです」

私はポカンとした。確かに有紀さんの言っていることは、100%正しいような気がする。でも、だとしたら、私たちがしている、いや、してきた勉強とは一体、何なんだろう。

それに先ほど、有紀さん自身も、今までやってきた文法などの勉強は大事だと言ったばかりではないか。

「ひとまず今、ここで僕がお伝えしたいのは、そもそも英語の環境がない中で、話者になるのはそれくらい困難だ、ということです。もちろん、『できない』とは言っていませんよ。ただ、学校でやってきていないフレーズを、付け焼き刃で黙々と覚えて終了するような、ましてやそれでペラペラになれるなんて発想だけは、絶対に抱かないで欲しい、ということです」

急に、目の前にあるフレーズ集が色褪せて見えてきた。何なんだろう、これって。

確かに今まで、これ一冊さえ頭で覚えれば、それでペラペラになれる、と思っていたところがあった。しかし、もちろんそんなことはなく、それはあくまで積み上げた石の一つに過ぎないのかもしれない。

先ほどの吉原さんの言葉が、また私の心をよぎった。

ー「いいか、言葉とは移ったり、もらったりするものではない。自分で声を出しながら、『育んでいく』ものだ。つまり、山登りではなく、山にしていくのが、本来正しい考え方なのだろう。そして、続ければ続けた分、高くなる。もちろん、山裾だって広がる。ドッシリともする。それは、私たちが覚えてきた日本語も一緒だったはずだ。日本語を生活の中で、聞き、話し、読み、書いて『育んできた』からこそ、山のように、揺るぎなくなったのだ」

分からない。私たちがやってきた勉強と、今、有紀さんたちが言っている「言葉」とは、果たして同じものなのだろうか。どこでどう重ってくるのだろう。

「なあ、有紀。だったら・・・文章を長くしていけばいいんじゃないか、こういう感じで」

そう言って松尾さんは、違ったフレーズ集を出した。それは先ほどのものとは違う、「主語・動詞・目的語など」が組み込まれた、長めのフレーズが沢山載ったものだった。

恐らく松尾さんが言いたいのは、一言フレーズはそれだけで終わってしまう。だから、もっと長めの文章を、沢山覚えていけばいいではないか、ということだろう。

しかし、有紀さんはサラリと、「どうやって覚えるんですか?」と返した。

「かなり長めの文章です。しかも、こんなに沢山。松尾さんは一体これを、どうやって覚えていくんですか?」

「どうやってって・・・」

「覚え方には色々あります。声に出して覚える、書いて覚える、読んで覚える、聞いて覚える。松尾さんは、どの手法を取られるんですか?」

「ど、どの手法って・・・」

考えたこともなかったのだろう。そう、覚える、は覚えるだ。

「いいですか? 大事なのは、『覚え方』なんです。『覚えよう』と声をかけるのは、『自然にその言葉が口から紡げる人』にとっては容易いことなんですが、僕たちはこうして、覚えられないから苦労しているんじゃないですか。そこが方法論もなく、簡単に学習者に投げられているから、挫折し続けているんでしょう?」

そ、その通りだ。

「恐らく、1ページも覚えられていないんじゃないですか?」

「うっ!」

ま、また急所を突かれた。そうなのだ。結局私たちは、「覚えられていない」のだ。

そして、たとえその瞬間だけ覚えられても、使う機会がない。そのため、どんどん使われることのない文章が溜まっていき、結局挫折してしまうのは、いつものパターンである。

「これが国内で英会話をしている辛さなんです。覚えても使う機会がない。そして、覚えても口から出てこない。まるで、『波打ち際に砂のお城を立てている』ような感じです」

思わず、「ああああ!」と、声が出てしまった。

「ど、どうした、由璃?」

「あっ、い、いえ・・・その、丁度私、今の有紀さんと同じことを考えていまして。その、波打ち際に砂のお城を立てているみたいだって」

「じゃあ、その道は僕も辿ったかもしれませんね」

そう言って、有紀さんはクスリと笑った。

私はゴクリと唾を飲んだ。知っているかもしれない。有紀さんなら、この私が迷い込んだ、「ダンジョン」からの出口を。

「フレーズ集は、『一冊の台本』だと思ってください」

「え?」

「たとえば役者さんがその台本を覚えるとしたら、かなり大変ですよね?」

なるほど、そういうことか。確かに、このフレーズ集、いや台本を一冊覚えるのは大変だろう。

「セリフを覚える以上、まとまった時間を取らないといけません。スキマ時間だけとかではなく、一日何時間とかですね。ただ、役者さんは本番が終わると、忘れたっていいんです。なぜなら収録が終わったら、もうそのセリフの出番はないですからね。そして、次の収録がありますから、次々と新しいものを覚えていかないといけません」

「しかし、フレーズ集は違うんです。ずっとキープし続けないといけないんです。つまり、収録を重ねる度に、辛くなっていく運命を背負っています。昔のものは忘れてはいけませんからね。だから進めば進むほど、いつかは止まるはずなんです」

考えれば、その通りだ。そうか、フレーズ集暗記の勉強法は、元々挫折する運命にあるのか。

「もちろん、できないことはありませんよ。ただ、これをキープし続けるのは、相当なモチベーションが必要になってくるのは、確実です。だから、たとえば、外国人に道を尋ねられたら答えられるようにしたい、みたいな動機だと、絶対に続かないはずです。だってそれだけのために、毎日セリフの練習をしないでしょう?」

そうだろう、たかがそれだけのために、台本集を覚え続けることはできない。

「表現集の山に行きついてしまったら、そこを突破するのは辛くなりますよ。大量の文字を丸暗記していくことになりますから。だからこの時点で、『大量の脱落者』を産んでしまうことになります。それが証拠に、表現集が書店に並び、もう長い年月が経っていますが、日本人はほとんど話せるようになっていませんよね? つまりもう、歴史が『証明済み』なんです。『フレーズ集では、日本人は話せるようにならない』と」

確かに、どんなにイラストが沢山あっても、どんなに分かりやすくとも、どれだけ数があっても、根本的な解決には至らない気がする。そう、文章の暗記は、やはり無理なのだ。

「本当はあるはずなんです。『誰もが英語を話せるようになる方法』が」

「何?」

「だって、英語圏では誰もが話せるようになっていますよね? であれば、誰だって可能なんじゃないでしょうか? 英語の話者になるのは。それは頭のいい、悪いに限らず」

「だからそれは、英語圏だからだろう。さっきもお前自身、言ったじゃないか。他国に生まれては、外国語は身に付かないと」

「だからこそ、『工夫』が必要なんです」

「はあ?」

「大昔であれば、学ぶ媒体は文字しかなかったでしょう。でも、今は違うんです。ネット環境がありますし、現地で使われている教材や本だって、簡単に手に入ります。であれば、工夫さえできれば、この状況は打破できるはずです。いや、工夫しないといけないんです。しなければ、行き着く先が今までと同じ、『文字の海』になってしまいますからね。塾にはいませんか? 単語一つ、満足に覚えられない子が」

「い、います!」

思わず大きな声が出てしまった。そう、四葉だ。あの子は単語が覚えられない。そんな子が、英語が得意な大人すら挫折し続けている表現集を、覚えられるわけがないのだ。それこそ1ページどころか、1文章も、だ。であれば、四葉は国内では、英語話者には辿り着けなくなる。

「だ、だったら、CDを聞き流していれば、覚えられるんじゃないか?」

そう言って、松尾さんは別の表現集を出した。それは「聞き流しているだけで覚えられるようになる表現集」というものだった。

しかし、有紀さんはまたサラリと、

聞き流して、英語が話せるようになったら、それは魔法ですよ

「何?」

「いい加減、その手法に騙されない方がいいと思いますよ」

「! さ・・・詐欺、なのか?」

「もしも、ですよ。聞いているだけで、言葉が勝手に乗り移り、自分の口からも出るとしたら、電車通勤者や通学者は、車内アナウンスくらいできるようになっているはずですよ」

「あっ、た、確かに!」

思わず大きな声が出た。

「毎日のように聞いていますよね? 聞き流していますよね? 話せるようになりましたか? いや、そもそも聞き取れていますか?」

出ない。全くだ。毎日のように、耳にしているのに、だ。

「The next station is Shibuya. The doors on the right side will open. Please change here for the JR Yamanote Line, JR Saikyo Line, JR Shonan Shinjyuku Line.」

いきなり英文を読み上げた有紀さんに、私はビクリとした。

有紀さんはクスリと笑い、

「さて、僕はどうやってこのアナウンスを口にできたと思いますか? 何百回も聞き流したからですか?」

い、いや、違うはずだ。

「そもそも聞き流してインプットができるのであれば、この世の教材は全て聴覚教材にすればいいんじゃないでしょうか? 教科書も全部読み上げて、それを吹き込んで、ずっと流していればいいでしょう? だって、聞いていれば、アウトプットまでいけるんですよね? 英和辞書も六法全書も全部その手法でやってしまえばいいはずです」

む、無理だ、どれだけ流そうが、覚えられるわけがない。そもそも、学校の先生の話でさえ、右から左に流れるのだ。だからこそ私たちは教科書を何度も読みこみ、マーカーを引いたり、ノートに分かりやすくまとめたりして、「覚える工夫」を重ねているのだ。

「先ほども言いましたが、言葉を覚えるのは、役者さんが台本を覚えるのと何ら変わりません。例えば収録があり、その台本を覚えてこないといけないとします。それなのに、ずっと聞き流していて、現場に入ったらどうなるでしょうか。恐らく、セリフは出ないと思いますよ。そして『ずっと聞き流していたんですけど、セリフを覚えられませんでした』なんて監督に言ったら、絶対に怒られるはずです」

大激怒だろう。そう、聞き流すだけではセリフ(言葉)は覚えられない。しかもそれは、「母国語のレベル」の話だ。それなのに、英語になった途端、覚えられる理屈はどこにもない。いや、むしろ絶対に無理だ。

「こと日本人は英語になった途端、判断力が鈍ってしまうんです。『聞いていたら、ペラペラになれる』とか『便利フレーズやパターンを覚えたら、英語をマスターできる』とか。それは、どうやったら話者になれるかの道が見えていないからです。つまり、『話者になるための哲学』がない。学校で一つも付けられてこなかったんです。『単語や文法はみっちりやった。だから、あとはネイティブと話していれば、ペラペラになれる』という幻想を抱いたまま、受験を終えたんです」

私はまたゴクリと、唾を飲み込んだ。

「で、でも、よく言うじゃないか。赤ちゃんは英語を沢山聞いたから話せるようになったって。だから、聞くのは悪くはないんじゃないか?」

「もちろん悪くはありませんよ。言語の本質は『音』ですから、沢山聞くべきです。しかし、『聞くだけで話者になれる』と宣伝するならば、それは過大広告です。『飲んだら痩せられる』と変わりません。痩せるのであれば、体を動かして、食事制限もしないといけないでしょう? それと同じで、話者になるのは『○○だけ』という、簡単な道の先にあるわけじゃない」

有紀さんの言葉から、強い「信念のようなもの」が伝わってきた。

「そもそも赤ちゃんは聞いただけで、話せるようになったわけじゃありませんよ。音以外に『何か』があったはずです」

「え?」

「だからまずは『それ』が大事なんです。『それ』がないと、理解もできないし、音を育む練習もできません」

何だろう、「それ」って。私が聞こうと思った時だ。

ー「ワンワン!」

アップルが吠えたと同時に、ドアが開いて、一人の女性が「すみませーん」と入ってきた。

有紀さんは「すみません、少し失礼します」と私たちに断り、入り口の方に駆け寄った。

「いつもお世話になっています」と頭を下げているので、恐らく保護者の方なのだろう。

「松尾さん・・・何だと思いますか、有紀さんの言っていた『それ』って」

「さあな」

もはや、考えもつかない様子だった。もう完全に有紀さんに、ペースを握られっぱなしだ。

そして、次の瞬間だ。一人の女の子が、一冊の本を手に、私たちの下に近寄ってきた。それは先ほどの絵カルタで勝った、例の女の子だった。

「あれ? どうしたの? 何か有紀さんに用?」

「Yes, I have one question about  a word in this book.」

「えっ! 英語!」

「Can I ask  you?」

私は松尾さんが、ゴクリと唾を飲み込んだのが分かった。

今回も無料公開でした。ただ前々回、そしてその前の回は有料になっています。是非、「note」からお読み下さいませ。サポート感覚で、ご購入頂けると幸いです。買われて損はない内容だと思います(多くの方からオススメを頂いています)

(次回「6、英語を話す権利(仮)」に続く。5月更新予定です)

日本人が学んできた「英語」とは何だったのか?


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