英語を日本語に切り替えず、そのまま理解する
「話せる」に向けた英語の学び方

英語は手話を学ぶのと何も変わらない

手話の話者になるためには、手を動かさなくてはいけない

さて、皆さんは手話はできるでしょうか。私はできません。テレビで手話のワイプを見ても、何にも分かりません。

だから、手話をされている方を見ると、単純に「すごい」と思ってしまいます。

当然ですが、手の動きが速い。そして相手も、相手が何が言いたいのかを理解しています。

本来、手話に限らず、言葉とは魔法のようなものだと思うのです。

昨日あったこと、明日したいこと、あなたが嫌いなこと、好きなこと。

手の動きだけで、自由に説明できるのですから。

そして、もちろん「手話の話者」は、いつの間にか手話ができるようになったわけではないはずです。

見て、自分で手を動かした。そして、動かし続けて、型をつけたことに、あのスピードや正確さが生まれたはずです。

手話とは「手と目」の情報の授受です。

だから、手話を使うのであれば、自分の手を動かして覚えるでしょう。見ているだけでは話者にはなれない。「理解」プラス「運動」があった。

手話の「話者になるため」には、手と目を使って覚えなくてはいけない。

ここまで、異論はないはずです。

では、日本語や英語はどうでしょうか。

それらは手話と違い、「口と耳」の情報の授受です。

そう、英語の話者になるには当然なのですが、「口と耳」は必ず鍛えておかないといけない。むしろ、それがメイン

日本人の英語学習は、「口と耳」をどれだけ使ってきたのか

しかし、日本人の「英語学習」はどうでしょうか。

話者になるために、日本人はその過程を踏んできているのでしょうか。学校でその道を作ってきたのでしょうか。型をつけてきたのでしょうか。

英語学習のメインである「中学高校の6年間」で全くやらずに、7年目で動かし始められる方がどれだけいるでしょうか。

どこまで一人でマインドを切り替え、学び方を180度変えられるでしょうか。

6年間、野球理論をギュウギュウに詰め込み、7年目にグラウンドに立ったら、どうなるのでしょうか。その人は「立派なプレーヤー」になれるのでしょうか。

普通に考えれば、頭でっかちでプレーなどできません。

分析ばっかり(文法解説、上手い訳し方)になるはずです。

なぜなら、今まで「頭だけ」を使ってきたのですから。そこで完結してしまうはず。受験の後に、本当の英語の「運動ステージ」があったなんて思えるわけもない。

学校で習う文法は大事です。「言語のルール」ですので。

ただ、ルールの追求が目的になってしまえば、それはアンパイアや評論家の道に辿り着いてしまいます。

プレーヤーはある程度知っていれば、それでいいでしょう。プレーするためのルールなのですから。プレーがメインです。

そして何よりもまず、「早めにプレーする、させること」が大事です。

「聞く・話す」が遅れれば、後ろに回せば回すほど、今後のプレーヤー人生に支障をきたします。そして、もしかしてプレーヤーになれない可能性だって出てきます

そう、これは国家レベルのとんでもない勘違いなのですが、英語を話すのは「頭の中の作業」だと大人によって刷り込まれてしまった人が、どれだけ多いか。

どれだけ、ここから抜け出せなくなるか。英語が話せずに困った大人は、また文法を学び始め、同じ道をまた引き返しています。

口ではなく、また頭を使い始める。

そう、日本人は「日本語→英語」に切り替えられれば英語をペラペラ話せる、と考えてしまっています。別に口なんて動かさなくてもいい、と。なぜなら、口は自由に動くものだから、と。

しかし、お待ち下さい。

であれば、手だって自由に動くのです。

「手話の話者になるのであれば、手は動かして覚える」のに、「英語は口を動かさなくてもいい」という理論は成り立たない。

英語の話者になるには、何度も何度も同じことを繰り返して、型をつける必要があります。

このことに、多くの日本人は未だに気付いていません。そのため、受験英語が終わった後に、「音読がいいよ」と言われても、ポカンとしています。頭の中が、「英語なんて訳せればいいじゃん」となっている。

ただでさえ、英語とは日本人にとって、発声方法から、口の動きまで全く言語です。そのため、口を動かさずに、話者になれるなどありえません。

ましてや「聞いているだけで、流暢な話者になれる」など、絶対にありえない。その手法が流行っている以上、国家レベルで「話者」への道がついていないことが分かります。

「英作文」学習はなぜ失敗するのか

私はあまり、人に英作文を勧められません。なぜなら、「間違った方向に流れ、挫折してしまった人」を、今まで沢山見てきたからです。

そう、多くの日本人は「英語を話す=頭の作業で完結する」と思い、口を動かさなくなってしまうのです。

「英作文」学習は、国民全体を「口の運動不足」へ誘う、原因の一つになっている。

頭で理解していても、プレーするのは体です。体を何度も動かし、刷り込まないといけない。

だから、どんなに英作文が上手くても、口に出す作業は別に設けないといけません。口を動かし、手話のように「型」をつけないと。

そのため、英作文をするなら、その後に「発話練習」まで必要です。

日本語は「型」がついているから、自由に私たちは話せるのです。

それが証拠に、私たちは話すときに、頭を使っていないでしょう。思ったこと(感覚)と、口が連動している。そういう、「運動」をしてきた。

ここを明確にしていないので、いざネイティブを前にして、頭の中は英作文に気を取られ、発音もおざなりになり、思ったことが言葉にできなくなってしまいます。つまり、練習がゼロの段階で試合に入ってしまっているのです。

そして、頭が言語の変換でパンパンになっているだけなのに、「間違えを恐れなくてもいい」だとか言われ、そこに非があったのかと思ってしまう。

残念ながら、ネイティブ講師はこの苦しみを、分かってはくれません。頭の中身、英語の作り方が違うのですから、当然です。

こうして英語を話せないのは、「自分の気の持ちよう」だと考える。

そして、一人の時に何もしないでただ黙々と文字を見て、今までの学校英語の勉強を延長してしまう。「高校四年生」を続ける。そしてまた練習なしの状態で、レッスンに入ってしまう。

この負のスパイラルに、出口はありません。

そう、あなたの「気の持ちよう」に、話せない原因があるのではないのです。

その代わり、口を動かす練習を何にもしていなかっただけです。

「野球」をやってきたと思っていたのに、やってきたのはずっと「野球の勉強」だった。

ここをクリアにしておかないと、抜けられなくなります。

口を動かす練習を沢山積めば、それは自信に繋がり、発話量も増えていくはずです。「メンタルの増強」とは、「日々の口頭練習の裏付け」があってのものですから。

話者になるには、序盤の段階で、たくさん耳と口を使っておきましょう。そうしないと、それは「言語」ではなく、「教科」へと石化してしまいます。

英語圏に行けば、知能がまだ発達していない幼児でも英語を話しています。そう、本来、言語は頭の良さなど要らないのです

野球ができない子はいないでしょう。だから、英語を話せない人間などいません

言語とは、繰り返し繰り返し、音を聞き、口を動かし、ネイティブを真似、それを数年単位で続けていく「運動」である。手話と同じ原理。

だから本来、学校の英語の成績が「1」でも英語が話せるのです。それは「話せる」とは、関係がない。

なぜ、そこまで断言ができるか。

それは、向こうの子供がペラペラ話せているからです。

ただ、その子たちが日本に来て、学校の英語の授業を受けても、成績は「1」でしょう。

なぜなら彼らは、日本語訳して、並び替えられないのですから。文字も習っていないから、読めないかもしれません。

その代わり、彼らは「口と耳」を使えます。それは「言語」として英語を習ってきているからです。

本来、砂のお城のように簡単に克服できるのに、和訳などの学問などで固めると、英語は「難関不落の砦」と化してしまいます。国民全体で「話せない」という、「馬鹿げた現象」を引き起こす。

「飛べない鳥」のようにならないで下さい。鳥は「飛ぶ理論」で飛ぶのではなく、「翼」で飛ぶのです。

これに気づけない人は、人生を数年無駄にしてしまいます。そして、もしかしてこの時代、一生を無駄にするかもしれません。

話者になりたい人は、「教科」ではなく、「言語」として英語を捉えていきましょう。

音読やフラッシュカードなどで口を動かすのは、とてもいい練習になります。

日本人が学んできた「英語」とは何だったのか?


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